本とわたしを離さないで

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2021.01.23

自分に向けられた言葉 「仮定の質問には答えない」ことについて

「仮定の質問には答えない」と話す首相の言葉に首を傾げ続けている。

彼は誰に向かって喋っているのだろうと考えていた。

記者に対して答えているのに違いないだろうけれど、次第に彼は自分に対して言っているのではないかと考えるようになった。

彼は自分に向かって「仮定の質問には答えない、答えたくない、答えられない、考えたくない」と呪いをかけ続けているのではないか。

言うまでもないけれど、国民の生活を守るためには仮定の問を考えなければ政治家は務まらない。

そういう意味で、彼は失格だ。

 

昨年末にこんなことがあった。

二ヶ月に一度位のペースで通い続けているお客さんがレジに山ほど本を抱えてやって来た。

こんなにたくさんありがとうございます、と言うと「今年は頑張ったから、自分にご褒美」と笑って、「みんな頑張ったよね」と僕にでも誰にでもなく自分に言い聞かせるように呟いた。

同じ日だったと思う。お世話になっている編集者の方があるデザイナーを連れてやってきた。お互い名前は知ってはいたけれど僕らは初対面だった。

彼も気を使ってくれたのか、たくさんの本を買ってくれた。

帰り際に「来年は良い年にしましょう」と周りに聞こえるほど元気な声で挨拶をしてドアを開けて出ていった。それは僕への挨拶でもあり、何より自分を励ましているように聞こえた。

声に出して自分に向かってかける言葉は力強い。それは声に出さずにはいられないほど切実な状況だからだ。

 

為政者と国民がそれぞれに自分に向かって投げる言葉の果てしない隔たり。

その距離をどんな言葉で埋めれば良いのだろう。

国民に声をかけ、国民の声を聞く立場の人間が、自分の殻に閉じこもっているようではどうしようもない。

自分を奮い立たせるための声がお互いに全く響かない。届かない。

僕は二人のお客さんから聞いた言葉をここで吐き出さずにはいられなかった。言葉は生き物だから、いつも居場所を求めている。

そんな祈りのような言葉が堆積し、届くべき人に届くことを願うばかりだ。

 

 

 

 

2020.12.16

『海をあげる / 上間陽子』(筑摩書房)

身体と心に響く文章とはどういうものだろうと考える。
文章が上手いだけでは伝わらない。
上手い言い回しや比喩ではない。
何か強烈な体験をして、それを赤裸々に語ればいい、ということでもない。
正直に、ゆっくりと語られる言葉が人の心を打つ。

読書とはどういうものだろうと考える。
本は何度でも開くことが出来る。
本を開き読むたびに「最初に戻る」、という感覚がある。
その本に書かれた声を最初に戻って何度でも聞き取ろうとする。

僕は辺野古の海を見たことがない。
その青さを知らない。
辺野古の海に土砂が投入されていることを情報でしか知らない。
かつてそこで戦争があったことを知識でしか知らない。
僕は沖縄のことを何も知らない。
この情報や知識は僕の中に蓄積されているが外に出さなければ何の役にも立たない。

この本を読んでいる間、ずっとそんなことを考えていた。

言葉を失ったあとに、娘と伴にまた絞り出すようにゆっくりと言葉を紡いできたこの本は、海のように深く、重い。
それでも、何度も読み返さなければならない。
その声が身体中に広がるまで。やがて僕の声になるまで。
僕の娘たちのために。

2020.11.20

阿部海太の絵本 『ぼくが ふえを ふいたら』に寄せて

阿部海太の絵本をどうやって売れば良いのか。

どうやって読者に届ければ良いのか、この数年悩んでいた。

絵本だから、と言って絵本コーナーに挿しておけば良いのか、いや彼は画家だから、と言って美術のコーナーに置いておけば良いのか。

それは違うような気がずっとしていて、中途半端な気持ちで仕入れても売れないだろうと悩んでいた。

けれど絵描きとしての彼を知る僕は何とか彼の絵をたくさんの人に見て欲しいと思っていた。

ギャラリーに足を運ばずとも、本になればその機会は増えるのだからその機会を逃す手はない。

本屋の僕はそのチャンスを活かすことが出来るのだから、本当は積極的に売っていきたい。

 

油絵で幾重にも塗り込まれた圧倒的な色彩は誰も見たことのない原始の風景を思わせる。実際に彼の絵にはいつも動物が登場する。

人間と動物の境界がない世界。見たことはないけれど、懐かしい世界。人間の動物としての本能を揺さぶられる世界だ。

本を開くことで読者はその深淵な世界への入口に立つことになる。

その入口を提示することに本屋としての僕は二の足を踏んでいた。

その入口から先に進む人はどのような人だろうと想像出来なかった。

 

けれど、今回の『ぼくが ふえを ふいたら』を読んでその悩みは霧消した。

阿部海太の本は絵本であると同時に詩であり、音楽なのだと思った。

僕は絵本という体裁にこだわり過ぎていたのかも知れない。

本屋として、仕入れる本をどういう人が手に取るだろうと考えることは必要だが、そのことに縛られすぎていたのかも知れない。

まずは何よりも、本と向き合ってみる。

僕はこの絵本に書かれた小さな物語を紙に書き写してみる。

そこには一篇の詩が立ち上がり、音楽が鳴り響いていた。

そうすると本を手に取って読んでいる人の姿が自然と浮かんでくる。

子どもはもちろん読んでいるし、大人も読んでいる。

まとめて絵本を買う人はこの一冊もレジに持ってくる。

詩集と一緒に買う人もいるし、クレーの画集と一緒に買う人もいる。

絵本という枠に囚われず、読者を勝手に想定せず、僕のお店にただ本を求めてやってくる人々に正面から差し出して行こう。

この本に流れている風の音を聴きながら、虹の彩りを見ながら、そう決めた。

 

 

 

 

 

 

2020.10.11

祖父を訪ねて

車があまりにも汚れていたので「洗車したら?」と父に言うと「誰も見てへん。乗れたらええねん」と返ってきた。

数年前に買い換えたというトヨタのヴィッツはフロントガラスも水色のボディも雨水や埃で黒ずんでいた。

父と二人で車に乗るのは何年ぶりだろうか。思い出せない。10年?20年?

 

ウイルスが他人事ではなくなってきた頃、98歳の祖父がデイサービス先で転んで腰の骨を折って寝たきりになり、数日入院した末に介護付き老人ホームへ移って行った。認知症ではなかったが元々目が悪い上に足元も覚束なくなってきたので転んだことには誰も驚かなった。記憶も曖昧で顔を合わすと「何処に住んどる?子どもの名前は?仕事は何しとる?」と毎回同じことを聞かれる。時々叔父(父の弟)と間違われる。

梅雨が明けた頃に見舞いに行こうとしたが「こういう状況なので予約制になり対面での面会は出来ない」と言われ足が遠のき、何となく夏が終わるのを待ってから予約をしてもらい、実家へ帰った。午前と午後、ひと組ずつしか面会は出来ないらしい。面会と言ってもオンラインで、ただでさえ会話の噛み合わない人と空間を挟んで上手く会話出来るのだろうか。祖父の状況を聞くと「目がほとんど見えなくなっている。食欲はあるし酒も飲むが流石に痩せてきた。でもはっきり喋るけどね」と母は言った。

 

朝食を済ませ、車に缶チューハイのケースと秋冬用の着替えを積んで父の運転で老人ホームへ向かった。「この街も汚くなってしまった」と父のぼやきを聞いていると10分強で着いた。

エントランスを抜けると左手に受付があって、女性のスタッフが「こんにちは」と元気に出てきた。父は慣れたように「お世話になっております」と荷物を渡し、そのまま広いロビーに向かい腰を下ろした。四人がけの木製のテーブルが三つ並んでいる。僕らの他には誰もいなかった。他のスタッフがどこからか出てきて「準備致します」と軽い足取りで廊下の奥へ消えていった。ロビーは庭に面していて東向きの窓から登り始めた陽の光を吸い込んでいた。窓の向かいには白い本棚がある。中井久夫の本が数冊と司馬遼太郎や津本陽の小説、それとオキーフの自伝が並んでいた。

本を読むでもなく背表紙を撫でていると「お待たせしました」と後ろから声がした。スマホを持ったスタッフが父の元へ歩み寄る。僕はてっきりモニター越しにどこか仕切られた空間で話すと思っていたので面食らった。この広い空間で手のひらに乗った長方形に向かって話すのか。スマホを覗くと鼻にチューブを差した祖父が仰向けに寝転んでいる。目は開いているのか閉じているのかわからない。祖父の傍でスマホを持っているスタッフの手が見え隠れしている。画面が顔に近づいていく。父が「もしもし」と声を上げると「—か?ご苦労さんです」と祖父が答える。僕の来ていることを父が伝えると「元気でやれよ、何処に住んどるんやった?子どもは元気か?仕事は何しよるんや」といつもと同じ会話が始まった。僕がどこで話をしようと祖父にはほとんど関係のないことだった。確かに痩せたように見えたが悲壮感はなかった。もうすぐ100歳なのだ。今更祖父のどんな姿を見てもさほど驚かない。ご飯を食べられて好きな酒を飲めるのだから十分だと思った。

 

形だけの面会はすぐに終わった。また来るよと通話を切った。いつ逝ってしまうかわからないが、せめてまた手を握れるように願うしかない。それよりも僕は帰り道、フロントガラスの汚れを見たときに父の「乗れたらええねん」という声がこだまして、言いようのない寂しさに襲われた。父は身だしなみに気をつける人だった。派手ではないが傷まない永く着れる上質の服を好んだ。服装や髪型について昔はとやかく言われた。みっともない仕草や装いを嫌った。外見と車のことは別の問題かも知れないが数年前までの父なら車をきちんと洗っていただろう。祖父はもうすぐ100で父は70、僕は40だ。これまで意識をしてこなかった30年の隔たりが僕の人生に影のように気配を消しながらぴったりと付いて来ていたことを知った。そしてその時間の重みやその重みがもたらすものが陽炎のような輪郭を持って目の前に迫って来ることを受け入れるしかなかった。

 

 

 

2020.09.09

blackbird gift cardについて

企画・デザイン:微花

製作:花店note

発売:blackbird books

 

blackbird booksオリジナルのギフトカードをリリースしました。

以下、製作・発売に至った経緯を簡単にお知らせ致します。

 

LINEを遡って見ると植物図鑑「微花」を作っている石躍さんと西田さんからbbbの図書カードを作りたい、と最初に連絡が来たのは2020年の4月13日。

この日は、新型コロナウイルス感染症の影響であらゆる業態の店が「開ける・閉める」の選択を迫られ、「テイクアウト・通販」の準備に右往左往する中、bbbとしては本を必要だと言う人たちのために、そして家族を養うために夕方まで店を開けるという選択をしてしばらくしてからのことでした。

お世話になって来た多くの本屋の苦しい現状を見ていて、何か出来ることはないかと連絡をくれたのです。

blackbird booksという場を続けて欲しい、知って欲しい、今は行けなくともいつか訪れて欲しい、という明確でこちらが少し遠慮してしまいそうなメッセージを受け取りました。

以前にもどこかで書きましたが「微花」の二人とは店を創業した頃からの付き合いなので6年ぐらいになります。取引先の相手として、店と客の関係として、そして今では友人として気の許せる付き合いがあります。

僕らの間には本と花があり、本屋という場所がありました。本屋以外の場所で言葉を交わすことは打ち上げなどの年に一、二回の例外を除いてありません。

本屋という小さな空間で交された短い時間の積み重ねだけで信頼関係が生まれていることに、小さな感動を覚えます。

 

bbbでギフトカードを作るのであれば、やはり「花」を使いたい、ということでした。

bbbは花屋を併設しているので花を担当している妻に早速相談すると彼女は是非やりたいとのことでした。

今回のギフトカードには彼女の運営する花店noteの押し花を使っています。

僕もこの数年実際に横で見ていてはっきりと分かったのですが生花を販売すると、どうしてもロスが出ます。

枯れる前にドライフラワーにすることは出来ますが、全ての植物を出来るわけではないし、切り落とすものも出て来ます。枯れたと一口に言っても枯れた花の美しさもある。

それらを箒で片付けることは簡単ですが、妻はそうすることを嫌っていました。

一方で「微花」は道端の植物を観察し、雑草という名の花はないという信念があり、名前の忘れられている花や見過ごされる風景(一歩外に出れば、気づかないだけで視界には植物が溢れているはずです)、つまり小さな生命の呼吸のようなものを汲み取っていました。

妻と微花の間には共振するものがあります。

blackbird gift cardはその小さな共感の振動、そして小さな生命の残響、そういうものが形になったと思います。

最初は感染症の影響もあり、営業が苦しくなる前に、GW明けには出したいね、と話していたのですがアイデアを共有していく中でせっかくなのだから妥協せず、急がず、良い物を作りたいという全員の想いが強くなり、この9月に発表することになりました。

 

このカードは店頭でのご利用となります。

bbbを紹介したい方、いつか自分で行ってみたい方、本はやはり手に取って選びたい方、コロナをはじめ様々な事情で今は来られることが出来ない方、

贈り物としても、あるいは自分のためにも花を眺めながらどんな本を選ぼうか空想をお楽しみください。

店頭、ホームページで販売致します。