本とわたしを離さないで

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2016.02.21ブログ

エルマーのぼうけん

初めて、自分で読んだ物語は何だったか。

記憶のフィルムをぐるぐると巻き戻してみるとそれは「エルマーのぼうけん」だった。

「ぐるんぱのようちえん」も強く記憶に残っているけれど、それは絵本ということでここでは除外。

エルマー3部作、「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」「エルマーと十六ぴきのりゅう」を夢中になって読んだのを覚えている。

オレンジ色の背表紙とわくわくするような挿絵もいつでも思い出せる。

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古本屋をしていればいつかまた出会えるかも知れない(実家の本はいつの間にかどこかへ消えてしまった)、そんな淡い期待が現実となり、

たくさんの絵本と共に先日お売り頂いた。

荷物の中で見つけたときは思わず微笑んだ。

 

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「エルマーのぼうけん」は少年が動物たちに捕まってしまったりゅうを助ける物語だ。

この本には少年を魅了するものが幾つもつめ込まれている。

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りゅう、ぼうけん、リュックサック、無人島、ジャングル、船、らいおん、とら、ごりら、、

エルマーは空を自由に飛んでみたいという希望を胸にりゅうを助けに一人、旅へ出る。

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勇気、ユーモア、好奇心、やさしさを持って。

そしてそれらは大人になった今でも仕事をしていく上で、生きていく上で、大切にしなければならないものだと、教えてくれる。

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現代は「MY FATHER’S what does viagra do DRAGON」 1948年、NYのランダムハウスより刊行。日本では福音館から1963年に刊行されました。

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エルマー

 

 

2012.07.24ブログ

ミヒャエル・エンデ / モモ

 「忙しい、というのは心を失う、ということなんだよ」
この本を読んで思い出したのはこの言葉です。
どこで誰から聞いたのか僕は思い出せません。あるいは本で読んだのかもしれません。

ある日、実家の妹の本棚から「モモ」を失敬しました。手元には愛蔵版もあります。(これは友人から頂きました)
時間に追われ、お金を追いかけていくとどうなってしまうのか、童話という形式を取って描かれています。(時間を銀行に貯蓄する、というお話になっている以上、お金も恐らくこの本では重要なテーマだと思います)

多くの絵本や童話というのは大人にも読まれるべきものだと思うけれど、この本は正にそういった本の代表作と言っていいと思います。
読み継がれていく本というものはいつの時代にも通じるテーマがあり、何よりも人間の本質を抉り出しているものだと思います。そこには人間の素晴らしさと愚かしさが同居している。

子供たちがそうであるように、初めから全ての人間がここに描かれている「灰色の人間」ではないですよね。「何か」に心を支配され、色を失っていくものです。

あとがきで作者(あとがきにおいてこの物語はひとから聞いたと言っていますが、ここでは触れません)が鋭いことを言っています。

「わたしはいまの話を、過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話してもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きな違いはありません」

この物語は1973年に発表されています。

現代において、多くの人が感じているように僕も簡単な言葉で言ってしまえば、「幸せ」について考えています。
「モモ」がそうであるように人の心に耳を傾け、価値観に縛られず、少しの勇気があればそれに近づくことが出来るのかもしれない。
そういったことを「考えさせてくれる」この本は素晴らしい本だと思います。

2012.03.31ブログ

新美南吉 / ごんぎつね

この本を見つけたとき、子供の頃の優しい記憶が鮮やかに甦った。この物語を僕は母親に読み聞かせて貰っていた。そう、帯に書いてある通り、「母から子へ」という形で。僕は恐らくまだ小学一年生か二年生だったと思う。妹はまだ幼稚園だ。今は駐車場に変わってしまった母の実家の二階で僕、母、妹と川の字に布団を並べ、眠りに付く前に母は「ごんぎつね」の大きな絵本を両手に持ってゆっくりと語ってくれた。一度きりではなかったと思う。二度、三度あったと思う。優しさがすれ違いによって悲劇に変わる物語。ひとりぼっちの悲しさ。悲しさを見つめて生まれる優しさ。世の中にはそういうことがあるんだ、という事を子供ながらに少しだけ理解した記憶がある。

大人になって今読んでみると、母が語ってくれた物語が記憶ではなく記録となって僕の目の前に映し出された。あの三人で並んだ夜の息遣いまで聞こえるようだった。子供の頃恐らく理解出来ていなかった言葉も今では理解出来るからこんなにも鮮やかな情景を写していた物語だったのかと驚いた。児童文学、と謳いながらも菜種、百舌鳥、すすき、萩、六地蔵、位牌、といった親に聞かなければ分からない単語が物語に深みを与えていると思う。

でも、一番驚いたのは母がこの本を読んで涙を流していたことだ。
子供の僕はこの物語の持つ悲しみと現実の持つ悲しみをまだ何も知らなかったから。
僕はただ物語りにでは無く、母親が泣いているのを見て悲しくなった。
あの絵本はどこへ行ったのだろう。
子へ物語を読み聞かせている親は今どのくらいいるのだろう。