本とわたしを離さないで

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2017.10.18

藤本徹朗読会「大阪で、青葱を切る」を終えて

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落ちてきた空の

ひとかけらを持って

幼子が走りよってきて

ねえみて!

と言う

きれいだねえなんだろうねえ

とあなたなら言うだろう

それがなんなのか

知っていたとしても

(ひかりをつんで)

 

言葉が風景を描き、既に缶ビールを3本で飲んでいた藤本さんの声はどこか深い所からはっきりと聞こえていた。

灯りを消した店内で藤本さんの声だけに耳を澄まし、僕らは何を見るでもなくただそれぞれの脳裏に浮かんだ風景を見つめていた。

それぞれの「あなた」が脳裏をよぎり、それぞれの「ひとかけら」を思い描いていた。と思う。

僕は言葉は生きているんだなあと思いながらそれらが皮膚に付着して沈んでいくのを感じていた。

藤本さんは「風景や情景を書いて、その奥に行きたい」と仰っていた。

そうすると紙に印刷された文字は入口ということになる。

人は詩や物語を読むとき、それぞれの入口に立っている。

その先は目に見えなけれど、言葉や記憶を頼りにそれぞれで進んで行くのだろう。

 

朗読が終わって一緒に来ていた藤本さんの奥さんに感想を聞いたら

「たまにしか聞かないけど、とても良かった。青葱聞いているときは泣いちゃったよ」と言って照れたように微笑んでいた。

僕はそれがとても印象的で「その奥」に彼女は行っていたんだろうと思う。

忘れられない夜になった。

 

 

 

 

 

 

2017.10.12

長崎平和公園にて

長崎平和公園へ家族三人で訪れた。

ひどく雨の降った日の翌日、灰色の雲はまだ空を覆っていて、青い空が点々と見えてその出番を待っていた。

気持ちの良い気候だった。

朝早くにホテルを出て、路面電車に乗り、小さな駅で降り、信号を渡るとすぐに入口があって、丁度小学生の団体がぞろぞろと出てくるところだった。

子供らは黄色い帽子を被っていた。5歳の娘は興味深そうにその団体を見つめていた。

階段と併設されたエスカレーターを登ると公園が広がっていて正面に「平和の泉」と呼ばれる噴水があった。

噴水の前には「ある少女の手記」を刻んだ石碑が置かれていた。

人はまばらで水の音以外にはほとんど何も聞こえなかった。

僕は石碑を読み、水の音をずっと聴いていた。

とても静かだった。

平和の泉を通り過ぎると公園は更に広がり、遠く正面には写真でしか見たことのなかった巨大な像が立っていた。

平和祈念像と呼ばれる水色の像だ。

数人の外国の観光客がその像の前に立っていた。他にほとんど人はなく、公園の端で老人がアイスクリームを売っていた。

僕は空を眺めたり、像を見たり、公園を囲む木々を見たり、歩く娘を見たり、写真を撮る観光客を見たりしながら像の前へ歩いて行った。

像の指差す空を眺めた。とても静かだった。雲がとてもゆっくりと流れていた。

その雲の流れる音が聞こえるくらい静かだった。

たった72年前にここから数メートル離れた爆心地の上空で爆弾が爆発したことなんて信じられないくらい静かだった。

僕はずっと耳を澄ませていた。

何か大切なことが聴こえるのではないかと。何か大事なことを聞き逃しているのではないかと。

 

耳を澄ませることはとても大切なことだ。

見ることよりも遥かに大事だと思う。

ヘミングウェイは聞くことが好きだと言った。人々は見ることに必死だけれど何も聞いていないと言った。

物語を読むとき、ただ文字を追うのではなく、人は耳を澄ましている。

その場面の中で。その風景の中で。遠い異国の、あるいは遠い記憶の声を探すように。

絵や写真を見るとき、人は耳を澄ましている。どこからか音や声が聞こえてくるのではと。

 

色々と困難な時代だけれど、小さな声や音を聞いている人に僕は惹かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.09.01

blackbirdからの手紙 4 2017.9.16

昨夜、家に帰ったらあなたは興奮しながら手紙を書いたので見て欲しいと走り寄ってきました。

それはお母さんの大切な友人であり、あなたも大好きな友人へ宛てた手紙でした。

それは「今度保育所に来て欲しい。そして一緒に帰ってご飯を食べに行こう」という内容でした。

彼女につらい出来事があり、お母さんが贈り物をすることを聞いてあなたは手紙を書く事を思い立ったのでしょう。

僕が「どうしてご飯を一緒に食べたいの?」と聞くと

あなたは「寂しくない?とか聞くよりも一緒にご飯食べようと誘った方が喜んでくれるかな、と思って」とすっと答えました。

僕はその答えに驚き、喜び、何だか嬉しくなりました。

彼女はきっと喜んでくれると思います。

もちろんお母さんも。

 

僕は今、あなたのその優しさがどこから生まれたのか考えていました。

お母さんのことを見て学んだのか、それとも生まれた時から持っているものなのか。

人を憂うと書いて優しさだからあなたはちゃんと彼女のことを、彼女の悲しみを考えていたのですね。

いづれにせよ僕はぶっきらぼうで鈍感な人間なのであなたのような思いやりをちゃんと持たなくてはと思いました。

あなたの成長が僕の成長にも繋がっています。

ありがとう。

 

 

 

2017.08.15

blackbird からの手紙 3 2017.8.15

真夏の昨日、陽が沈んで、真っ黒に日焼けしたあなたとお姫さまごっこをした時にね、(僕はもちろん王子様)

「踊りましょう」とあなたが言ったんだよ。

僕は疲れてたけどあなたが満足するまで二人で手を取り合って踊ったよ。畳の上で。

あなたは真剣で、一切笑わずに、お姫様になりきっていて、汗を流しながら踊っていたよ。

僕はそれを見ていたら、疲れが吹っ飛んだよ。

それからね、売上がいいと悪いとか、じいちゃんはそろそろ逝ってしまうなとか、夏は電気代かさむなとか、

誰のための政治やねんとか、税金返せとか、読んでいない本がどんどん溜まっていくなとか、観たい映画があるなとか、

あなたとフェスに行きたいなとか、あの本仕入れるかどうしようかなとか、

そんなこと全部どうでもよくなってしまったよ。

ただただあなたを可愛い人だなあと思い、生まれてきてくれてありがとう、と思ったよ。

40近くなっても夏の夜は切なくなるんだなと思ったよ。

踊る姿をちゃんと目に焼き付けておこうと思ったよ。

今しか見られないからね。

来年の夏は初めての夏休みですね。

頑張って遊ぶ時間作ります。

 

 

2017.08.09

ロッテルダムの灯 / 庄野英二

あるお店の方にオススメして頂いた「ロッテルダムの灯/庄野英二」が大変面白かった。

弟の庄野潤三が好きでこれまでよく読んで来たけれど、恥ずかしながら庄野英二は読んだことがなかった。

「ロッテルダムの灯」は日中戦争、太平洋戦争を戦場で過ごした本人によるエッセイで、まえがきには「風にささいやいたものにすぎない」と記している。

戦争を題材にした小説のように劇的なドラマや修羅場が出てくるわけではない。

また、大変な苦しい思いをした、という痛切な出来事を語るわけでもない。

ただ現地で本人が見たもの、そして出会った人々についてありのままに語っている。

そこには敵や味方ではなく人間同士の交流が描かれている。

そして、とにかく花の名前をタイトルにした作品がたくさん出て来る。

そばの花、相思樹、うつぼかずら、マリーゴールド、カーネーション、椿、菜の花、サンパギータ、菊、カトレア、そしてバラ。

兵舎のあった豊橋、中国大陸、マレー半島、インドネシア、、それらの国々で見た花。

美しい花の思い出ばかりではないけれど、(そこには怒りや哀しみもあるが庄野さんはそれを軸には書いていない)

戦地にあっては悲惨な日常をふっと忘れせさてくれるものとして植物のその姿、香りが強く印象に残っていたのかも知れない。

それらの花にまつわる出来事が淡々と静物画のように綺麗な文体で描かれていて、戦時中の事とは思えない。

けれど、僕が戦時中の出来事の何を知っているというのだろう。

こういった本に出会う度に僕は何も知らないのだ、と痛感する。

 

「母のこと」という作品に中国で敵の一団に突撃するシーンがある。

敵の機関銃が雨あられと降ってくる中で突撃していく二十歳を過ぎたばかりの庄野青年は右肘に銃弾が命中し、

「生まれてから一度も経験したこともない、力とスピードと焼きただれるようなものが一緒になった強力な衝撃を受けて私の運動が停止させられてしまった」と書いている。

その時やられたと同時に頭をよぎったのは「母に叱られる」という観念だったらしい。いたずらを見つかった子どものような。

そしてその戦場でまわりの兵が戦死していくなか、庄野青年は日本へ搬送される。病院を見舞う母はもちろん叱るのではなく自分に責任を感じ「ごめんよ、かんにんしてよ」としきりに謝ったそうだ。

この本でほとんど唯一と言っていいほど臨場感のあるシーンだけれど、一つの真理が書かれているようで僕はまた自分の無知を恥じ、この本を何度も読み返そうと思うのだ。

 

※僕が買ったのは(ほとんど譲って頂いた)理論社の古い本ですが講談社文芸文庫からも出ています。

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