本とわたしを離さないで

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2021.09.12

岩瀬ゆかインタビュー『光は残っていて、ただそこにある』 

9/15-10/3 岩瀬ゆか『The light aren’t gone,they’re just out there. /光は残っていてただそこにある』

この展示の開催に合わせ、インタビューを試みました。今回の作品については彼岸から彼岸へ、春から秋へ流れていく物語があり、作品を提示する際に少し言葉を添えてみても良いのではないか、と考えたからです。岩瀬さんの言葉を反芻しながら少しでも作品の持つ奥行を感じ取って頂ければ幸いです。

 

作品集『Through』について

blackbird books(以下b):初めて会ったのはいつやったかな?本(作品集:Through)を持って来てくれた時かな?

岩瀬ゆか(以下i):いつやろ、本作った時は既に知り合いの気持ちやった気もする。。もうちょっと前かなぁ、kiteの展覧会??
知り合いが続々と関わっていってて、お店行ってみたいな、て思ってました。

b:5年くらい前やね。よく会ってる気がするけど、うちで展示をやるのは初めてです。Throughを手にとった時に凄くええ本やなと思ったのを割とはっきり覚えています。僕は実際の絵よりこの本で先に絵を見て、本屋の性格上かな、絵はもちろんやけど、本全体として凄く印象に残りました。今回もデザインで関わってくれている角谷さんの写真も良かった。このThroughは今もシリーズとして描いてますか?

i:点々のタッチで描いた木漏れ日のような絵がそうです。2012年あたりからずっと描いている。

b:Throughにはどういう意味が込められてますか?

i:通り過ぎる、通り抜けるという意味で、木の下を通り過ぎる時の、風や光や音、に加えて空間が迫って過ぎていく時のなんとも言い難い感じ、を平面で表したいと思ってます。
あと、なんでもないどこにでもある、誰もが見たことのある風景を描いているので、見た人それぞれの記憶や、この先への希望のような、内面の通り過ぎる事についても、何か刺激できたらな、と思っています。最近はさらに、生まれ生きて消えるまで、という意味?かな、お願いに近いんやけど、Throughのシリーズの絵を作る時はそのことが絵に現れますように、と思っています。

b:生まれて生きて消えるまで、っていうのは今回の作品に繋がってるよね?

i:Throughは、長く描いててだんだん変わっていってて。最初は「気持ち良さ」を追いかけて描いてたんだけど、生まれ生きて消えるまで、というのは最近になって出てくるようになった。意図的に描くのではなく、できた絵を見てそう感じる。だから続けて作って行ったらまた変わるかもしれない。今回の、箱作品を作るまでの一連の流れとThroughをずっと描いてきた流れが合流した感じで繋がっている。

b:この本の最後に、世界は美しいと言いたい、と書かれています。この想いは今も変わらない?

i:変わらないです。色々なやるせないような出来事とは別で、朝も昼も夜も、うつくしいな、と思うことがあります。都会暮らしですけど。

b:美しいっていう言葉をもう少し掘り下げると?

i:単純にきれいって思うこと。
朝の布団に入る光(ビルに反射して入る)とか、信号待ちしてる時に目に入る向かいの木の揺れとか、駅のプランターに植えられた派手な草花、夜の信号機、雨の日のアスファルト、高層ビルの光と影、高速道路、春に咲く小さい黄色い雑草、色々あるね。きれいやなっ!て思ったそのことを絵にしたい。

創作について

b:今回の作品の話に入る前に、少しだけ。絵はいつから描いてるの?

i:高校後に専門学校のイラストレーションへ。山本容子さんや、奈路道程さんが好きで線画を描いてました。そのあとバイトしながら人物画を描いていた。
今のスタイルになったのは産後、10年前くらいからやけど、合わせると18才から24年も絵を描いている〜!

b:出産でスタイルが大きく変わったということかな?

i:そうやね、時間が無くなったことで、描き方が即興的になって。あと、色々自分で動いてやってみることができるようになった。なんか、遠慮が無くなったというか。。

こだわりも無くなっていったな。いい意味で自分に緩くなっていった。多分育児経験で変わったんかな、と思います。

b:展示もかなり多いし、オーダー制作もしていると思うのですが、子育ての中でいつ描いてますか?創作は迷いなくどんどん進む感じ?描くのが楽しい?

i:平日の仕事(週2-3日デザインのバイトに行っている)休みの昼間と、夜間。一度子どもと一緒に9時頃寝て、11時くらいに起きて、2時か3時まで制作してる。創作は、ほとんど迷いなく進む。失敗か?と思ったら、置いて次に行く。描くのが楽しい。悲しいことや悔しいこと、日頃のモヤモヤも描いている時は全部忘れられる。描いた後に今日の取り組みを見ながら、いいねー、言うて呑むのが楽しみである。

『The lights aren’t gone, they’re just out there 光は残っていて、ただそこにある』 制作の始まりと絵について

b:今回のThe lights aren’t gone,they’re just out there.はThroughとは違って平面ではなく、アクリルのカケラを使って立体的であり、またそれを使ってキャンパスではなく紙にストレートに模様を描いています。

僕は先程お話を聞いたThroughに比べて、感情的な作品だと思いました。音楽も使っているし。(この箱作品には次松大助さんのCDが封入されています)

この作品を作った経緯や込めた想いを聞かせてください。

i:元々は、豆椿での展示(2020年3月春の彼岸:今回のblackbird booksでの展示は本人の希望で秋の彼岸に開催されます)がきっかけになっています。
豆椿の展示では、流れるように「消えゆくこと」がテーマになって、内容も母が亡くなる前に過ごした時間そのもので。
その3ヶ月後に母は亡くなったんですが、豆椿での展示は別場所で再展示ができそうだったり動き続けていて、何か形にしておきたいなぁ、と思ってました。

母の死に触れた時に、死とは生まれること、さらに言うと、生活そのものの同じ線状にあって、とても身近なものだと感じていた。見舞いに行って身体が薄くなっていく母との透明な時間を過ごした後、自宅に戻るとダイナミックに成長し続ける子らといつもと同じ熱い日常がある。そこには隔たりがなくて、とても身近だった。
病気の母にも子どもや私にも平常の日々があって、私たちは平常のもつ頑強さや逞しさに救われている、悲しみに寄りすぎないように、お腹空いたり眠ったりして生きることができるんやな、と思った。

そんで、亡くなってからもやっぱりその思いは変わらなくて。
死が悲しいのは残された人が勝手に思うことで、本人はそんなことない、どう思うかは全部残った者が勝手にやるだけやな、と。
死について、たいしたことじゃない、というか誰しもに起こる当たり前のことやな、と考えるようになって。
その上で、母が最後に意識もなくなり、身体が死のうとする時に、残りの野生が生きようと燃えていたことも思って。死にたい身体と生きる野生の闘いみたいなことで、それはやっぱり大変なことやと思った。どんな死にもあるんかな、と想像する。ちょっと話がずれてしまった。
とにかく、亡くなった後に、私に残されたこの印象を、形にしようと思って、箱を作りました。
死について、悲しいだけのことではなくて、忘れたり、都合よく思い出して悲しんでみたり、そういう毎日の平常を生きる上でのお守り、というか、そっとあるもの、なんじゃないかと考えて、それを現したいと思った。

なので、デザインと音楽にはなるべく悲しみに寄らないで、と伝えて、テキストも、あくまで自分の感想である、というスタンスで短く簡単に、と注意して作った。

b:ありがとう。お店にも色んな人生や生活が入ってくるから観る人がそれぞれに色々感じてくれたら嬉しいよね。

i:そう、色んな風に観てもらいたい。

b:この絵とアクリルについては?

i:普段は、手を動かして絵を描きながら出てくるテーマとか、場所が決まってから環境を取り入れて展示内容を考えたり、割と流動的に作るんやけど、この箱作品は珍しくカッチリとコンセプトが決まってます。
なので、唯一ゆらぎの余地があるのが描かれる絵についてで、絵は、たった今「現在」についてのことだと思い、最初100部作ったんやけど、全部仕上げずにその都度描く方法にした。
現実、現在はずっと続いていくもので、続くというのは、希望だなと考えている(考えたい)ので、光を感じさせるようなアクリル素材を選んだ。
絵にモチーフは特に無くて、その時々で、遊びや発見を大事に楽しい気持ちで描いている。
絵が一つ一つ違うことで、箱作品のテーマである死生観が個人的なものであること、現実の光とは、それぞれの様子があることにもつながります。この箱で示した死生観については、あくまでも私の個人的な出来事から今わたしが思うこと。または、それを投げて箱作品に協力してくれた方(音楽の次松さんや、豆椿、角谷くんもかな)の今の考えで、人によって色々な捉え方があったり、今後も生が続いて変化する。作品も、たまに思い出して眺めたりまたは忘れたりしながら、持ち主の折々にそっとあるものになるといいなと思う。

b:作品について説明というか言葉を加えてもらうのはインタビューとは言え、どうなんやろ、いいのかなと思っていました。ただこの作品については少し言葉を添えてみたらどうだろうと思い、聞いてみました。言葉にならなくても話を聞いてみたいなと。

i:ああ、いつもはあんまりしないけど、箱作品のは他の作品とは違うから説明がある方がいいよなーと思いながら、形にできてなくて。巡回展示の最後にインタビューしてもらえて良かったです。
もちろん、作品の背景とは関係なく見てもらうので全然かまわないんやけどね。

b:聞いといて良かった。大切な話をありがとう。この箱作品の展示は今回が一応終着駅です。これを読んでくれている方や既に別の会場で観ている方、これから観に来てくださる方に最後に一言。

i:この作品は私の個人的な出来事がきっかけになっていますが、そことは関係なく見た人の素直な感想で楽しんでもらえたらうれしいです。

 

2021.08.27

トンネルの光

夏や正月に和歌山県の白浜へ通うようになって10年以上経つ。

家族の家がある。

近畿道、あるいは阪神高速から阪和道へ入る道が好きで、運転が楽しい。

都市を抜けて眼前に緑が広がり、やがて山が迫ってくる。阪和道はその森の中へ入っていく心地がして気持ちがいい。

僕は神戸出身で海と山に囲まれた街は見慣れていたけれど、和歌山は神戸の比ではなく山を降りるともう足元に海がある。

街は海辺と山中に点在している。街から見る自然は大阪や神戸のそれとは違って果てがないように見えて吸い込まれそうになる。その畏れが何故か癖になる。

白浜へたどり着くためには山を越えるので幾つものトンネルを潜る。短いトンネルや長いトンネル色々あるけれど、通る度に人間の生み出した技術に驚かされる。

山を掘って、光を通し、道を作る。良くは知らないがこんなにトンネルのある国が他にあるのだろうか。

トンネルは出口があると分かっているから入ることが出来る。

点のような光が見えてきて、出口を抜けたとき、いちいち口に出すことはないが心のどこかが安堵する。

 

今、感染症の出口が見えない。光が見えない。安心して生活することが出来ない。

子どもたちに感染が広がって不安は砂のように降り積もるばかりだ。

たくさんの人が培ってきた知識や技術を使って、国が公共事業でトンネルに光を通したように、コロナの出口への道筋を付けるのも国の仕事だろうと僕は考える。

科学者が培ってきた知識を蔑ろにしてはいけないし、耳にタコかも知れないが国民の声に耳を傾けるのが政治の仕事だろう。

今は入口から全てが間違っているように思える。きっと僕らは任せる人を間違えてしまったのだろう。

運転を代わってもらわなければ僕らはこのままずっと出口の見えないトンネルに閉じ込められたままだ。

僕は次の総選挙は必ず這ってでも投票する。

 

2021.04.17

新大阪駅

小中学生の頃は東京と栃木に住んでいて、実家のある神戸に帰省する際は東海道新幹線ひかりに乗って帰った。

車で帰った記憶もあるけれど、きっと親が渋滞にうんざりして電車に乗って帰るようになったのだろう。

 

新大阪駅で降りると東京とは全く違った空気を子どもながらに感じたものだった。

両親に連れられ、人ごみを掻き分けてJR神戸線に乗り込む。三宮に着く頃にはへとへとになっていて、妹はいつも母に抱きついて眠っていた。元町を過ぎ、神戸を過ぎると「まだ?つぎ?」と私は繰り返す。「兵庫、新長田、鷹取、須磨、塩屋、垂水、、、」と母は子守唄のように言う。須磨の海が見えてくる頃にはいつも陽は沈んでいた。

 

一度どういう事情かは分からないが父親と私と二人きりで新大阪駅を歩いていた。

新幹線に乗り込む前に昼食を取ろうと蕎麦屋へ向かった。子どもの事を気にかける父ではなかったから広大な駅の中をはぐれないように懸命に付いて行き、また何を食べたいかと聞くような人でもなかったから、気が付くと蕎麦屋に座っていて、見様見真似で薬味を入れて、ざるそばを啜った。葱の横にうずらの卵があって、それもつゆに入れた。味は覚えていない。蕎麦を食べた後のことも覚えていない。駅はすっかり様変わりしているからあの蕎麦屋は恐らくもうないだろう。

 

私は現在、新大阪駅から地下鉄で北へ三つ目の駅で本屋を営んでいる。

2021.03.21

幸福の積み木 「絵本のなかへ帰る / 髙村志保」(岬書店)を読んで

「絵本のなかへ帰る / 髙村志保」(岬書店)を読んでいると、

”絵本を手にすれば、あの時読んでもらった本、と思い出が蘇る。

その思い出の中の子どもは一人じゃない。誰かが必ず傍にいる。”

という文章に出会った。

ああそうか、と思った。

 

先日桃の節句で長女が嬉しそうにちらし寿司を食べていた。

忙しい中、妻が作ったものだ。

にんじん、蓮根、椎茸、絹さや、錦糸卵、そしてマグロの漬けがのっていた。

娘の顔を見ていたらおよそ30年前の妹の顔と重なった。

妹も嬉しそうに母が作ったちらし寿司を食べていた。母は鮭のちらし寿司だ。

ちらし寿司を大して好きではなかった僕は何がそんなに美味しいのか、と妹が喜ぶたびに思った。

けれど、あの時の妹も母も、今の娘も妻も、幸福を顔に描いていた。一人ではなかった。横にいた僕も一人ではなかった。

長女はいつかきっと、妻のちらし寿司の味と、あの時一人ではなかったと、思い出すだろう。

 

僕たちは気づかぬ内に幸福の記憶を積み木のように重ねて生きている。

それは誰にも崩せない。

あの年だとか、あの夏だとか、そういうぼんやりとした長い時間ではなくて、絵本を読み聞かせたり、食卓を囲んだりしたような日常の小さな時間がふいに思い出される。

 

そういった記憶があれば何とか生きていけるのではないか。

積み木を一つでも多く、子どもたちに渡してやることが大人の役割ではないのか。

僕は、そんなことを考えた。

 

優れた本は記憶を呼び起こし、大人としての振る舞いを正してくれる。

 

 

 

2021.01.23

自分に向けられた言葉 「仮定の質問には答えない」ことについて

「仮定の質問には答えない」と話す首相の言葉に首を傾げ続けている。

彼は誰に向かって喋っているのだろうと考えていた。

記者に対して答えているのに違いないだろうけれど、次第に彼は自分に対して言っているのではないかと考えるようになった。

彼は自分に向かって「仮定の質問には答えない、答えたくない、答えられない、考えたくない」と呪いをかけ続けているのではないか。

言うまでもないけれど、国民の生活を守るためには仮定の問を考えなければ政治家は務まらない。

そういう意味で、彼は失格だ。

 

昨年末にこんなことがあった。

二ヶ月に一度位のペースで通い続けているお客さんがレジに山ほど本を抱えてやって来た。

こんなにたくさんありがとうございます、と言うと「今年は頑張ったから、自分にご褒美」と笑って、「みんな頑張ったよね」と僕にでも誰にでもなく自分に言い聞かせるように呟いた。

同じ日だったと思う。お世話になっている編集者の方があるデザイナーを連れてやってきた。お互い名前は知ってはいたけれど僕らは初対面だった。

彼も気を使ってくれたのか、たくさんの本を買ってくれた。

帰り際に「来年は良い年にしましょう」と周りに聞こえるほど元気な声で挨拶をしてドアを開けて出ていった。それは僕への挨拶でもあり、何より自分を励ましているように聞こえた。

声に出して自分に向かってかける言葉は力強い。それは声に出さずにはいられないほど切実な状況だからだ。

 

為政者と国民がそれぞれに自分に向かって投げる言葉の果てしない隔たり。

その距離をどんな言葉で埋めれば良いのだろう。

国民に声をかけ、国民の声を聞く立場の人間が、自分の殻に閉じこもっているようではどうしようもない。

自分を奮い立たせるための声がお互いに全く響かない。届かない。

僕は二人のお客さんから聞いた言葉をここで吐き出さずにはいられなかった。言葉は生き物だから、いつも居場所を求めている。

そんな祈りのような言葉が堆積し、届くべき人に届くことを願うばかりだ。