本とわたしを離さないで

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2018.04.11

blackbirdからの手紙 5 2018.4.11

小学校入学おめでとう。

でもいきなり言われても何がおめでとうか分からないよね。

入学を自分から目指してきたわけではないし。

小学校に入るくらい大きくなっておめでとうかな。

でもそれならありがとうだな。

ここまで育ってくれてありがとう。

 

小学校楽しく行けるといいね。

色んな友達がいて色んな先生がいて色んなことがあると思うけど、たくさん勉強してたくさん遊んでください。

もしかしたら行きたくない、なんてこともあるかも知れないけどその時はちゃんと耳を傾けられるようにします。

 

お父さんは自慢じゃなけれど、3つの小学校に行っていました。

それぞれの場所で色んな思い出があります。

先生に怒られたこととかは良く覚えているけれど、正直学校での出来事はほとんど覚えていません。

それよりも校庭のどこに鉄棒があったとか、どこに桜の木があったとか、友達との帰り道にカエルを山ほど捕まえたこととか、

帰り道の空の色とか、寄り道して帰り道がわからなくなって不安になったこととか、友達の靴がカッコよかったとか、

遊んでクタクタになって帰ったらお母さんが美味しいご飯を作ってくれていたとか、そんなことは覚えています。

それと好きだった人のことは覚えています。

だから、もしかすると本当に大切なことは学校の中にはないのかも知れない。

でも、それがあなたにとってもそうかと言えばそうではないかも知れない。

何が心に残るのかなんて誰にもわからないから。

あまり偉そうには言えなけれど、どうか型にはまらず楽しんでくれたらいいなと思っています。

学校で学ぶこととそれは矛盾しているのかも知れない。

でもその矛盾を乗り越えられるようにお母さんとお父さんはいるのかも知れない。

何だかおかしな話だけれど。

 

とにかく仲の良い友達と好きな人が出来たらいいね。

算数は苦手なので聞かないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.03.21

4/6(金)はお休みです。

都合により4/6(金)はお休みを頂きます。

通販の発送業務もございません。

何卒ご了承くださいませ。

2018.01.16

「死む」

以下は、お客様のご依頼で医療業界のある雑誌に寄稿させて頂いたものです。

いつもより少し長文になりますが宜しければ。転載は了承を得ております。

「死む」

 5歳の娘が先日突然「お母さん、私大人になりたくない」と神妙な面持ちで口にした。妻も、そして横で聞いていた私も驚いた。口を揃えて「どしたん、急に」と訊ねた。

 3歳を超えたあたりから語彙が増えてきて連日新しい言葉を使っては私たちを驚かせてくれる。どこでそんな言葉を覚えてくるのだろう?ということも多々あって、私たち夫婦の会話や保育所や公園やスーパー、病院などで周りの人間をよほど観察しているのだろうと想像出来る。言葉を覚えてくると質問が増えてくる。「どうして海はしょっぱいのか?」「どうして雷は光るのか?」「アメリカとはどこにあるのか?」「奇妙とはどういう意味か?」大人でも容易には答えられない質問を次々と飛ばしてくる。そんな質問をしてくる娘を見ていると困るわけではなく、嬉しくなる。日々成長しているのだなあと。

 恐らくそこで行き着く疑問の先は「生とは何か?」「死とは何か?」ということになるのだろう。芸術家たちはこの困難な疑問に立ち向かう人々だが子どもの頃の疑問を捨てずにいられたからこそ芸術家になれるのかも知れない。日々過ごすうちにそんな疑問には構っていられなくなる。だから、生や死について疑問に思うことは子どもだけが持ち得る純粋さを伴っている。

 「だって私が大人になったらお母さんはおばあちゃんになって死むんやろう?そしたら会えなくなっちゃうやん。それは悲しいもん」と娘は答えた。娘は「死ぬ」と発音出来ずに「死む」と言う。バッタが死む、メダカが死む。しかし母親が死ぬことを想像しているのを見るのも聞くのも初めてだった。死は恐らくどんな言葉よりも輪郭が掴みにくいものだが(大人の私でさえ)、「会えなくなる」ということは分かりつつあるらしい。娘は死を恐れているのではなく、母親に会えなくなることを悲しんでいる。悲しんでいる娘を見るのはつらい。妻は「大人になっても会えるよ。大人になったら楽しいことたくさんあるよ」と答えた。私もそれに加勢するように同じように答えた。

 私は親バカと言われようが何だろうが娘が死の悲しみに耐えられるのか不安で仕方がない。可愛がってくれている祖父母や、そして私たち夫婦がいつ何時命を落としてしまうかは誰にも分からない。その時の娘の悲しみを想像すると正常ではいられなくなる。娘にはいつまでも可愛い娘でいてもらいたいが、悲しみに耐えうる強さも身につけて欲しい。それが大人になるということなら仕方ない。一緒に頑張って大人になろう、と言うしかない。幸い心を鍛えてくれる書物ならここにたくさんある。

2017.10.29

青春狂走曲 / サニーデイ・サービス・北沢夏音

『曽我部が「田中、いま、何考えて弾いてた?」と訊いてきた。「晴茂くんがモタらないように考えて弾いてるよ」と答えたら、

「いや、そういうことじゃなくて。俺はこの曲をやるとき、当時付き合ってた彼女のことを思い出して歌ってるの。楽しかったり、ケンカしたり、その頃のことを知ってるのは田中だけだから、おまえもそういう気持ちに戻って弾いてくれ」と言われたんです。

そのときにすべてがわかった気がした。俺はうまく弾こうとすることばっかり考えていたけど、曲を演奏するってそういうことだよなと。』

 

この本には僕が愛するバンド、サニーデイ・サービスの全てが書かれている。

タイトルは「青春狂走曲」という。「東京」という恐らく彼らの最も有名なアルバムに収録されている曲からとられている。

本はintroの部分を除くと北沢夏音さんが初めて曽我部さんにインタビューをした95年から始まる。

7枚のアルバムと解散するその時まで、そして再結成をしてまた4枚のアルバムを出した今年(2017年)まで。

北沢さんのインタビューによって20年以上に及ぶメンバーそれぞれの日々が濃密に、甘く、苦く、痛みを伴って書かれている。

よくあるバンドの読みやすいエッセイやその功績を讃えるものでも何でもなく、ただその日々がロードムービーのように映し出されていく。

冒頭の会話は再結成のリハの時の話だそうで、僕が最も感銘を受けた会話だった。

青春は今も続いているのだ。

恥ずかしいことでもなく、カッコイイことでもなく、ただ現在も青春が続いているという現実。

北沢さんの言葉をお借りすると、「やみくもに走ったり、躓いて転んだり、死にそうになったり、生き返ったり」、そうして日々は続いているということ。

 

サニーデイを聴くと僕はいつも初めて彼らのCDを手にとった17歳の時を思い出す。

最寄りの駅前の小さな電気屋の2階の片隅にあったCDコーナーで「愛と笑いの夜」というアルバムを手に取った日のことを。

名前も内容も全く知らなくて、タイトルとジャケットと当時は珍しかったデジパックに惹かれて、買った。

「白い恋人」という曲が気に入って、遠く離れてしまった好きだった人のことを思い浮かべながら何度も聴いた。

今もあの頃の気持ちは自分の中に確かにあって、音楽がそれを引き出してくれる。

そうでなかったら音楽を聴く意味なんてどこにあるだろう?

 

自分も走って歩いて、時々躓いたりしながらまた立ち上がって店を続けていけたらいいなと思う。

この本はたとえバンドを知らなくても今もそんな風に青春を生きている人に読んでほしい。

 

sunnyday

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.10.18

藤本徹朗読会「大阪で、青葱を切る」を終えて

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落ちてきた空の

ひとかけらを持って

幼子が走りよってきて

ねえみて!

と言う

きれいだねえなんだろうねえ

とあなたなら言うだろう

それがなんなのか

知っていたとしても

(ひかりをつんで)

 

言葉が風景を描き、既に缶ビールを3本で飲んでいた藤本さんの声はどこか深い所からはっきりと聞こえていた。

灯りを消した店内で藤本さんの声だけに耳を澄まし、僕らは何を見るでもなくただそれぞれの脳裏に浮かんだ風景を見つめていた。

それぞれの「あなた」が脳裏をよぎり、それぞれの「ひとかけら」を思い描いていた。と思う。

僕は言葉は生きているんだなあと思いながらそれらが皮膚に付着して沈んでいくのを感じていた。

藤本さんは「風景や情景を書いて、その奥に行きたい」と仰っていた。

そうすると紙に印刷された文字は入口ということになる。

人は詩や物語を読むとき、それぞれの入口に立っている。

その先は目に見えなけれど、言葉や記憶を頼りにそれぞれで進んで行くのだろう。

 

朗読が終わって一緒に来ていた藤本さんの奥さんに感想を聞いたら

「たまにしか聞かないけど、とても良かった。青葱聞いているときは泣いちゃったよ」と言って照れたように微笑んでいた。

僕はそれがとても印象的で「その奥」に彼女は行っていたんだろうと思う。

忘れられない夜になった。