2023.09.23ブログ
2023.9.24
約8年前、週末にひっそり営業していたワンルームから今の路面(というかマンションの1F)に店を移した。
元々、ワンルームの店は仮住まいのつもりだった。
その頃比較的毎週のように来てくれていたお客さんがいて、彼女に店を移すことを告げると、「隠れ家みたいな雰囲気がよかったに」とその場で倒れるのではないかと思うくらい非常にショックを受けていた。
それ以来、彼女の姿を見ていない。
時々彼女の落ち込んだ姿を思い出す。何故だろう。
2023.9.22
音楽を聴かない日というのがない。
リズムを刻むように、メロディーを奏でるように、ノイズを蒔くように、サウンドを響かせるように商売をしたい。
それが出来たらどんなに素敵だろうと夢想することがある。
2023.9.22
グラスの縁を歩いているような感覚。
どうすればここから別の場所へ移ることが出来るのか。
2023.9.15
平日。
相方より少し遅れて六時半ごろに起きる。トイレに行き、顔を洗う。
相方が味噌汁を作る間に俺は昨夜の乾いた食器を片付ける。
それから果物を切って皿に盛り、ヨーグルトをかける。担当が逆の場合もある。
そうしている内に長女が起きてくる。長女は朝が得意ではない。着替えをしたり、髪の毛を整えている間に朝食が出来る。長女と俺が先に食べ始める。そこで次女が目を覚ます。長女は食べ終わると行ってきます、とすぐに学校へ行く。玄関で見送る。相方はエレベーターに乗るまで毎朝見送る。(玄関の前がエレベーターだ)
俺は朝食が終わると風呂を洗って、着替えて、家を出る。
バスに乗って千里中央へ向かい、用事があれば銀行へ行き、何もなければそのまま地下鉄に乗る。
この移動時間は貴重な読書時間だ。
緑地公園で降りて、弁当を作っていない日はスーパーかコンビニに寄る。
店に着き、シャターを上げ、掃除をし、棚を整え、店を開ける。
開けました、とSNSで告知をする。(意味があるのかは分からない)
それからコーヒーを淹れ、一息吐きながらメールを読む。
午前中は通販の発送、入荷があれば店に出す。時々お客さんがやって来る。
裏でこっそり昼飯を食べ、仕事に戻る。少し眠い日もある。
本を読んで通販にあげたり、古本の値段を付けたり、出したり、音楽を聴いたり、接客したりして営業が終わる。
朝来た道を帰る。急いでいる時はモノレールに乗ったり、長女の習い事の迎えに行ったりする。
帰宅すると大抵20時過ぎで、家族の夕飯は終盤になっている。お帰り、と皆元気に言ってくれる。
俺は風呂に入って、相方が作ってくれたご飯を食べる。彼女は次女を寝かしつける。長女はベッドでゲームか漫画かYouTube。
洗濯物を干して、子どもたちが寝ていたら時々二人でビールかワイン。あるいは本を読んで眠る。
俺はこの日常を愛している。
そしてこの日常が永遠に続かないことを知っている。娘たちはそれを知らないかも知れない。
仕事はこの日常の中にある。切り離すことは出来ない。
仕事の手を抜けば、この日常は夢のように崩れていくだろう。
俺はそれを恐れている。
2023.9.15
よく漫画とかである「今に見てろ!」「いつか見返してやる!」みたいな気持ちは俺にもある。
表には出さないけれど。
一人で商売をするっていうのは全部ではないが意外とそういう気持ちが発端になっていたりするものだと思う。また、そういう気持ちがないとやっていけないのではないか。
誰にか?
うちの店には見向きもしない大手出版社、売れっ子の作家、一瞥して素通りしていく客、友人、色々だ。
でも一番は、結局のところ、俺の場合は父親かも知れない。
2023.9.12
「酒のさかな / 高橋みどり」
「帰ってから、お腹が空いてもいいようにと思ったのだ。 / 高山なおみ」
今日買い取った本。
(人生の)最後まで手元に置いておきたいのはこういう本なのかなとふと思う。
食のエッセイは最も売れるジャンルの一つ。ここに平松洋子の本を加えれば無敵だ。
愛だ恋だのはもうほとんどどうでもいいし、社会問題に死ぬまで関心を持っていられるかも疑わしい。
結局、人間食べることが全て、のような気がする。
今は家族でご飯を食べる時間が一番楽しい。
2023.9.12
死者の音楽を聴き、死者の書を読む。
彼らだけが知っていることがある。
2023.9.6
お店にいるお客さんの3人に1人が本を手に持っている時の安心感。
2023.9.5
しんどいし、なんやかんやあるけど頑張ろう、からもう一歩踏み込まなくてはいけない。
2023.8.27
違和感は大事にしたい。
けれど、
たとえ勘違いだったとしても人に対する違和感はずっと残ってしまう。
2023.8.25
もう少しビジネスライクにやった方がいいのではないかと逡巡することがある。
正解なんてないのだから。
けれどビジネスライクにやる、というのがどういうことなのか分からない。
何かもっと出来ることがあるのではないかと考える。
例えば毎朝一時間みっちり掃除をするとか、年賀状を出すとか、電話をするとか、出張をするとか、
やりたくないことではなく、やってこなかったことを。
2023.8.24
(汚染水の)海洋放出が始まっちゃいましたね、とレジで不意に声をかけられる。
見覚えのない年上の女性の方だった。
インスタにこの件について憤りを覚えたので書き込んだのを見て下さっていた。
「私たちに出来ることは何だろうね」とため息をついて出ていった。
2023.8.20
本を買うこと以外の何かを期待されると困惑する。
2023.8.20
この気温の中、よく来てくれているなと思う。
この感じ、何かと似ているなと考えていたら、コロナの緊急事態宣言が出た時と同じだと思った。
あの時も、街の時間が止まったみたいになって、誰も歩いていなくても、本を求めにやって来る人がいた。自然と頭が下がる。
お互いにほとんど言葉を交わさなくても、「大変ですね」という気持ちを共有していたように思う。
「大変」なのはこれからも続くだろう。
結局のところ、政治や社会が安定しないと商売はどこまでいっても難しい。環境問題もそこと密接に繋がっている。
だから、一部の権力者や資本家の言いなりになってはいけない。
反抗のない文化活動、芸術活動、そして商売を僕は一才信じない。
2023.8.13
SNSの種類によって購買層が異なり、購入する本のジャンルも微妙に異なる。
実は少し使い分けて紹介している。それが正解なのかは分からない。
2023.8.8
昨日はiTohenさんへ阿部海太くんの新しい絵本『わたしはきめた』の原画展を観に行った。
この絵本は日本国憲法の前文を詩人の白井明大さんが詩訳し、それに海太くんが絵を描いたものだ。
一緒に観に行った長女は鳩の絵に興味を持って、夏休みの宿題である「平和ポスター」の参考にすると言っていた。
ところで、僕らがお店に着くと先にFOLKの吉村さんがいてアイスコーヒーを飲んでいた。
顔を合わせると当然お互いのお店の話になり、この夏もやはり厳しいですねという話になった。
翌日Twitter(そろそろXと書かねばならないのか)を眺めていたらFOLKさんのところでカレーを出している谷口カレーさんがこの夏は厳しすぎて、カレーの廃棄が続いており、メンタルが削られるのと勿体無いのとで、余ったカレーとご飯を無料で提供すると呟いていた。これは相当しんどいことだと思った。しかしそれと同時にしんどいのはうちだけじゃないんやなと後ろめたさの付いた安心感を覚え、どうしようもない自分に吐き気がした。
2023.8.2
このクソ暑い中ご来店下さる皆様には感謝しかない。本当にありがとうございます。
床に額を擦り付けています。
2023.7.29
あ、この人誰やっけ?どちらさんやっけ?と思いながらいらっしゃいませ、ありがとうございました、と言うてる時がある。だいたい帰られてから30分後ぐらいに思い出す。
2023.7.28
前職の友人が子どもを連れて突然来てくれた。
10年ぶりくらいの再会。
10年あれば色々ある。お互いにいつの間にか子どもが出来ていたり。
以前どこかで書いたかも知れないが店を作って良かったのは知人がこうして訪ねて来てくれること。
他の仕事だったらもう会えなかったかも知れない。電話とかLINEで連絡すればいいとか、そういうことじゃない。
そこに行けば会える場所があること。
2023.7.27
予約しなければ買えないものや行けない場所があることに不自由さを感じる。
何かに支配されているような気持ちになることがある。
そう感じながら、本の予約を受け付ける私は一体どういうつもりなのか。
2023.7.23
カップルで店に来ると大抵はどちらか一方が退屈している。退屈している方はスマホをずっと眺めている。
俺はなんでこんな人と付き合っているの?と聞きたくなる。一方に連れて来られただけだろうというのはもちろん承知している。
だから、稀にいる本に没頭しているカップルを見ると嬉しい。
別件だが店に入ってくるなり写真を撮っても良いですか?と聞くのはいかがなものか。というかどういうつもりなのか。
何をしに来たの?と聞きたくなる。
2023.7.23
朝イチで阿部海太くんが来店。iTohenで展示が始まった。
彼が岐阜に移ってからの再会となる。たまたま今日は次女が店にいて、彼女は海太くんが塩屋にいた頃、家族で遊びに行って会っているのだが、もちろん覚えていなかった。彼女がまだ2歳頃だろうか。
近況報告と来年の約束をして、彼は本と花を買って帰った。展示の最終日に見に行こうと思っている。
2023.7.22
スマホを眺めながら四、五冊ささっと買われるのと、一時間じっくり棚を見て文庫本を一冊買われるのとどちらが嬉しいか。
2023.7.20
佐内正史が店にやって来た。あの黄色いスカイラインに乗って。
僕に写真の世界を教えてくれた人。
20年以上見続けてきた人なので、流石に緊張した。LINEを交換した。
ナナロク社の村井さんと歌人の岡野さんにはお世話になりっぱなしだ。
2023.7.13
写真家は画集を買い、画家は写真集を買うのを散見される。興味深い。
2023.7.12
棚を見て時々本を手に取るが、全く目に写っていない、読んでいない、人が時々いる。彼らは大抵片手にスマホを持っている。
じっくり棚を端から端からまで見ていく人がいるが、全く本に触れない人がいる。
前者は暇つぶしだろうが、後者は最近気付いたのだが、同業者かも知れない。
どちらも気持ちの良いものではない。
2023.6.30
お店の道を挟んだ南側に小学校があり、そのまた南側に病院がある。お店の常連さんも知らない方が多いかも知れない。
駅から店の前を通って病院に向かう人を何人も何年も見ている。
病院から帰路につく人も。
午前中に年配の女性が数冊買って帰る際に、「ここはいつも面白い本置いてるね。通信販売もやってはるの?病院に通ってたんやけどね、死んでしもうて、ここまで来るのもう最後やねん。通販でも買えるんやったらまた見てみるわ」と言った。
「ああ、そうですか。それはそれは。やってますよ。どこから来はったんですか?」と誰が亡くなったのかは聞かずに私は答えた。何度か店に入ったことがあるようだったが私は顔を覚えていなかった。
「枚方から。電車でね。しばらく通ってたんよ。」
「そらちょっと遠いですね」私はショップカードを渡して、通販について説明し、お礼を言った。
病院や歯医者や眼科やお見舞いや何か個人的な都合で生活圏とは違う街に出て、そのついでに寄ってくれることは意外によくある。
彼女は誰を看取ったのか。どんな感情で本を選び、読むのか。彼女が立ち寄れる場所を作れたことを誇りたい。その小さな積み重ねが私と私の店を強くしてくれる。
2023.6.25
近所の焼肉屋の入口正面で、スマホで調べながら入店を躊躇っているカップルがいて、暗い気持ちになった。
せめて見えない場所でやるべきだろう。
2023.6.24
打ち上げが面倒だからイベントを開催するのに二の足を踏むということはある。
2023.6.23
ミシシッピさんの絵を買うために二日連続で来店された方がいた。
一日目に見て迷い、帰宅途中か帰宅後か眠る前に決断し、翌日の朝一でやって来た。
遠くの街から来たと言っていた。
一枚の絵を買うために彼女が過ごした約24時間を想う。
こういう時、店を開けて良かったと思う。
2023.6.22
朝から大雨。今日は車で通勤の日。どの道へ出ても混んでいた。
蜘蛛の子を散らすように家という家、影という影から車が街へ溢れ出す。
自分も蜘蛛になった気分で店へ向かった。
人は揺り籠から墓場まで影から影へ移動しているに過ぎない。
2023.6.21
本を買ってくれた若者が店の写真を撮ってもよいか?と聞いて来たのでどうぞと答えた。
店長さんの写真も撮ってよいか?と聞かれたがそれは嫌だと断った。
2023.6.18
タイトルを変更した。
気まぐれの投稿なので日記とは呼べないし、思考と創作の実験だからだ。
店に入ってすぐに出て行かれるともう出ていくの?となるし、手ぶらで長居されるとどういうつもりなの?と突っ込みたくなる。勝手なものだ。
2023.6.17
最近稀に「現金しかないですけどいいですか?」と聞かれることがある。
「現金がいいのです」
2023.6.13
十日ほど前に、長女のダンス教室へ迎えに行った後、二人で夕食を食べに行った。
千里中央の老舗の中華料理。
娘は天津飯を、僕は焼きそばを、そして唐揚げを二人で分けた。
ビールは我慢した。
それを今日を書くのは日記と言えるのか。
2023.6.12
スーパーに買い物へ行く途中を歩いていたら雀がうずくまるように死んでいた。
妻が魚の鍋が食べたいというので魚を見に行ったがいいものがなく、鱧にした。
今年最初で最後の鱧だろう。
2023.6.11
藤本徹さんの朗読会を開催するため広島READAN DEATへ。
昼過ぎにお店で藤本夫妻と合流。READAN DEATの清政さんも藤本夫妻も元気そうで何よりだった。
三人で一旦店を後にし、近所のお好み焼き屋へ。
お好みは大阪より広島の方が圧倒的に美味しい。違う食べ物という見方もあるけれど。
それから平和公園を散歩。お土産も買う。
戦争と平和について考え、ここで焼かれて死んだ人たちのことを想う。
夕方に店に戻って朗読会スタート。
大分から藤本さんのご両親、近所で仕事をしていた美術家の立花文穂も来てくれた。
本人は緊張していたようでいつもよりも早いスペースで読んでいた。
途中で間違った後、やり直しをしたのだが、その時が一番良かった。
藤本夫妻、清政夫妻、立花さんと僕で打ち上げに。
清政さんがriver cafeという店を予約していてくれた。
エスニックな料理でどれも美味しかったけれど、太刀魚の天ぷらのサラダが絶品だった。
僕は途中で抜けて皆んなに見送られタクシーで広島駅へ。
家に着いたのは0時半頃だった。蒸し暑い夜だった。
2023.5.28
お客さんがいる時はこんな小さな店にわざわざ足を運んでくれて本当にありがとうという気持ちになる。
誰も来ない時はああ何やってるんだ俺は、もうこんな商売やめてしまおう、何で誰も来ないのだ、と荒んだ気持ちになる。
振り子のように揺れる感情で毎日を過ごしている。その内糸が切れてどこかへ飛んでいってしまいそうだ。そうなると、どこまで転がっていくのか。それは元に戻ることが出来るのか。
2023.5.24
一日店に閉じこもっていると、世界は広いんだということを忘れがち。
普段意識しているかと言えばそういう訳でもないんだけど。
SNSに海外の動画や絶景なんかが流れてくるとわしはこんなところに座って何しとるんじゃいとなる。
ふと目を上げると書物が大量に棚に突っ込まれており、そこにもまた世界が広がっている。
もっと本を読みなさい。時間は限られている。
2023.5.5
GWは初めてのお客さんがたくさんいらっしゃって、今まで動かなかった本が売れていく。
嬉しい。
嬉しがっていたら能登地方で震度6の地震。
被害がないことを祈る。
地震の速報が流れる度に原発に異常は見られませんという速報。
これだけ地震の多い国で未だに原発が稼働され続けている異常。
異常な社会、異常な政治、異常な国。
2023.4.22
次女の誕生日。おめでとう。
高校の頃か、大学の頃か、先生と呼ばれる人たちが、
「卒業したら誰も助けてくれないよ」(だからしっかり勉強しなさい)と連呼していたのをたまに思い出す。
ある意味そうなのだろう。社会は冷たい。ところもある。
でも、そんな教育どうなんだろうね。
「助け合って生きないさい」と教えることは出来なかったのだろうか。
あの時の大人の言葉を思い出すたびに静かに怒りに震える自分がいる。
子どもたちがこれからいい先生に出会えたらいいなと思う。
坂本龍一が亡くなって、喪失感が日増しになって、しばらく何も書くことが出来なかった。
娘が生まれてきたことに感謝したい。
2023.3.15
お久しぶりのお客さんが買取の本を持って来てくださる。
大江健三郎、石川達三、中島らも、岡崎武志らの本を買い取る。
友人が鯛焼きを手に持ってやって来る。
お客さんが引いた時を見計らって頭から齧り付いた。
長女が11歳になった。
2023.3.10
今はもう存在しない書店の本棚やレコード屋の棚を思い出すことがある。
本やレコードではなく、それらが陳列されていた棚。それらを含むお店の匂い。
時々小さな自分の店をうろうろしている時、ふいに思い出す。
どこかで繋がっているのだろうか。
今日は驚くほど人が来なかった。
2023.3.9
朝から買取が続く。
春は買取の季節。
店の前の工事のせいか、春の陽気のせいか、視界がずっと白く煙っていた。
店もお掃除をしたい。
2023.3.2
常連さんと府知事選の話。
別の常連さんと豊中市の図書館が削減される話。
買い取った本に1968年の領収書。
2023.2.22
抱っこ紐のお母さんが来店。
それ自体は珍しくもないのだが、彼女は一時間ほど店に居た。
大抵の子連れの親は絵本の棚を見たり、あるいは目当ての本を探して10−15分ほどの滞在で店を後にする。
彼女は店の棚を隅から隅までじっくりと見ていた。抱っこされている子は眠るでもなく、泣くでもなく、ずっと揺られながら母親と同じように本を見ていた。
彼女はじっくり吟味して三冊の本を買っていた。
子どもが寝静まっている束の間、その本を読む時間が幸福であることを願ってやまない。
2023.2.19
トルコとシリアの地震にどう向き合えばいいのか分からない。
他人事ではないのに、自分事のように引き寄せて考えるのが難しい。
距離のせいなのか、考えることを拒否しているのか。
何をどう行動に移せば良いのか分からない。
地球全体が宙に浮かぶ脆い球体に思えて来て、不安が拭えない。
足元が覚束ない場所で息をしている。
2023.2.10
母の誕生日。七十になったらしい。
夕方におめでとうとLINEをしたがその日は返事がなく、翌朝にありがとうと届いた。
昨日はテニスに行ってきたと言う。整形外科に膝やら何やらを何度も診てもらいながらずっと続けている。
長生きして欲しいが母の家系は皆短命なので心配。
家系とか遺伝とかやっぱり関係あるのだろうか。
2023.2.8
昼間に小原晩さんがお土産のビールを持ってやってくる。
凄く美味しいんですよ、と聞いていたミッケラーの缶ビール。
夕方から京都へ向かう。
大切なお客様であり人生の大先輩と食事。西中島南方で阪急に乗り換え、大宮で待ち合わせ。
喧騒から離れ、予約をしてくれていた住宅街にある小料理屋へ向かう。
L字のカウンターと奥に小上がりがある小さな店。
金髪に安全ピンを耳に刺した若い料理人が一人で切り盛りしていた。
仕事のこと、子どもの結婚のこと、本のこと、音楽のことを語り合う。
生きていくこと、死んでしまうこと、についても話した。
苦労もしたけど今は楽しいと仰っていた。
白子の天ぷらが美味しかった。晴耕雨読という鹿児島の芋焼酎を呑んだ。
また行きましょうと握手をして別れた。
2023.2.8
お店をやっていて嬉しいことの一つは古い友人が訪ねて来てくれること。
10年ぶり、20年ぶり、なんてのも珍しくない。
SNSがなければそういうこともなかっただろうか。
2023.2.2
午前中に兵庫県立美術館へ李禹煥を観に行き、そのままお店を開けようかと思っていたが休みにする。
お店を開けてもうすぐ九年。今までは休むことが恐怖に近かったが今は休みたい時は休まないと危ないと思っている。
李禹煥を観て、それから万博方面に戻り、映画スラムダンクを観る。どちらも打ちのめされるほど素晴らしかった。スラムダンクは観ることを敬遠していたけれど、行ってよかった。
「余白」についてずっと考えている。
帰宅し即席の味噌ラーメンにバターを入れて食べる。夕食用に味噌汁と豚の生姜焼きを仕込む。
長女が学校から帰って来て、ダンス教室へ送る。(彼女は帰宅してから外出するまでの僅かな時間にスプラトゥーンをやっていた)
妻は4回目のワクチンを打ってきた。
みんな生姜焼きが美味しかったと言ってくれた。
タレに初めて蜂蜜を入れてみた。
2023.1.28
目覚めるとまた雪が積もっている。
それにしても都市部では雪が数cm積もっただけで慌ただしくなる。
電車は停まり、近所では車が滑って衝突している。
念の為車で出るのを避けて、妻は次女を保育園へ送って、それからモノレールで一足先に店へ。
僕はある程度の家事を済ませてから長女と家を出る。
雪が溶けて来ていたので迷ったが子どもが怪我をしては元も子もないと思い、モノレールで行くことにした。
長女は千里中央のダンス教室へ、僕はそれを見送ってそのまま店へ。
久しぶりのお花の日ということで朝から賑わう。
嬉しいのも束の間で、昼過ぎから首がもげるように痛くなる。
腰、背中、肩、首へと龍のように痛みが走り、それは首へ到達するとその日の夜までそこに留まった。
自宅に戻ると雪は跡形もなく溶けていたが、首の痛みは消えない。
次女が「ゆきやこんこ ゆきやこんこ」と繰り返し歌っているのを聴いて痛みが少し和らぐ。
それでもお酒を飲むのも我慢して早々に眠った。
2023.1.24
10年に一度の大寒波ということで、予報通り夕方から雪が降り始める。
冷え込んで来るに連れて客足が遠のく。客どころか誰も歩いていない。
ダンスの習い事をしている長女を迎えに行って、千里中央からモノレールで帰る。
地元の駅に降りると雪景色。
僕は大阪で育ったわけではないので雪が珍しいわけではないが、滅多に積もらない雪が積もって娘は目を丸くしながらはしゃいで帰る。雪の球を握りしめていた。
僕は「滑るよ、転ぶよ」とばかり言っていた。
はしゃいだ娘はニット帽をどこかで落としたことに帰宅後気付き、僕は帰ってきた道を辿るためにまた雪の中へ出た。
2023.1.21
paypayは使えませんかと立て続けに3回言われる。
paypayは使えない。
使えないんよ。
カードは一千円以上からお願いしています。
便利は搾取と同義だろうか。
2023.1.20
細野さんが幸宏さんについてコメントを発表した。
人生を一冊の本に喩えていた。
これだけの本に毎日囲まれいると幸福な時もあれば息苦しく思う時もある。
2023.1.17
28年前の朝はもちろん良く覚えている。15歳になったばかりだった。
僕は間接的にも直接的にも被災した。
いつかこの時のことを上手く書ければと思う。
あれから28年の年月が流れたことに信じ難い気持ちが滲み出してくる。
本のページを捲れば一瞬で時間が飛ぶが、そんなに容易い年月でもない。
28年、色んなことがあった。
2023.1.15
口にすると感情が溢れて涙が流れるように
文章にすることでも同じことがある。
自分は本当は悲しいのだ、と気づくことがる。
高橋幸宏さんが亡くなった。
2023.1.13
家族のために働く
自分のことなんてどうだっていい、そんな日がある。
そんな日が増えてきた。けれどそれを家族は喜ぶだろうか。
音楽家の寺尾紗穂さんが数年ぶりに来店。
近くに来たから寄って下さった。音楽も文章も精力的に活動しておられる。
見習わなくては。
2023.1.12
こんなにもたくさんの本が溢れているのにどうして世の中から戦争や暴力や差別は消えないのか
私たちはどこから来てどこへ行くのか
朝一で小原晩さんがエッセイ書きましたと持ってくる。
2023.1.8
言葉では表せないもの、というものは確かにあると思うが、そこに逃げてはいないか。
言葉と真剣に向き合っているだろうか。
僕は音楽家でも画家でもないのだから。
2023.1.6
新年の始まり。昨夜は少し緊張していたのか上手く眠れなかった。次女が眠りながら鼻を啜っていた。
眠気と緊張感の拭えぬまま店に着く。
掃除機をかけ、窓を拭くと少し汗ばむ。程よく身体も心もほぐれて行く。
豊田道倫さんから詩集が届いていた。
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