本とわたしを離さないで

2020.11.20ブログ

阿部海太の絵本 『ぼくが ふえを ふいたら』に寄せて

阿部海太の絵本をどうやって売れば良いのか。

どうやって読者に届ければ良いのか、この数年悩んでいた。

絵本だから、と言って絵本コーナーに挿しておけば良いのか、いや彼は画家だから、と言って美術のコーナーに置いておけば良いのか。

それは違うような気がずっとしていて、中途半端な気持ちで仕入れても売れないだろうと悩んでいた。

けれど絵描きとしての彼を知る僕は何とか彼の絵をたくさんの人に見て欲しいと思っていた。

ギャラリーに足を運ばずとも、本になればその機会は増えるのだからその機会を逃す手はない。

本屋の僕はそのチャンスを活かすことが出来るのだから、本当は積極的に売っていきたい。

 

油絵で幾重にも塗り込まれた圧倒的な色彩は誰も見たことのない原始の風景を思わせる。実際に彼の絵にはいつも動物が登場する。

人間と動物の境界がない世界。見たことはないけれど、懐かしい世界。人間の動物としての本能を揺さぶられる世界だ。

本を開くことで読者はその深淵な世界への入口に立つことになる。

その入口を提示することに本屋としての僕は二の足を踏んでいた。

その入口から先に進む人はどのような人だろうと想像出来なかった。

 

けれど、今回の『ぼくが ふえを ふいたら』を読んでその悩みは霧消した。

阿部海太の本は絵本であると同時に詩であり、音楽なのだと思った。

僕は絵本という体裁にこだわり過ぎていたのかも知れない。

本屋として、仕入れる本をどういう人が手に取るだろうと考えることは必要だが、そのことに縛られすぎていたのかも知れない。

まずは何よりも、本と向き合ってみる。

僕はこの絵本に書かれた小さな物語を紙に書き写してみる。

そこには一篇の詩が立ち上がり、音楽が鳴り響いていた。

そうすると本を手に取って読んでいる人の姿が自然と浮かんでくる。

子どもはもちろん読んでいるし、大人も読んでいる。

まとめて絵本を買う人はこの一冊もレジに持ってくる。

詩集と一緒に買う人もいるし、クレーの画集と一緒に買う人もいる。

絵本という枠に囚われず、読者を勝手に想定せず、僕のお店にただ本を求めてやってくる人々に正面から差し出して行こう。

この本に流れている風の音を聴きながら、虹の彩りを見ながら、そう決めた。