本とわたしを離さないで

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2017.02.05

アンティークショップ『SHABBY’S MARKETPLACE』の家具を一部取り扱い開始致しました。

英国をはじめ、ヨーロッパの家具を中心にセレクトされている塚本のアンティークショップ

『SHABBY’S MARKET PLACE』の家具を一部取り扱い開始致しました。

Ercol (アーコール)の椅子をはじめ、キッズチェア、キャビネットなどをご用意しております。

まるで昔から当店に置いてあったかのように馴染んでいるアンティークの家具たち。

本との相性も抜群です。

家具を選んだり、本を読むというのは趣味嗜好の範囲かも知れませんが、やはり実際に手に取って触ったり、使ったり、開いたりして、その良さが伝わります。

生活の中に身近にあるものだからこそ、その魅力や価値に気づきにくいのかも知れません。

 

椅子には実際に座って頂くことも出来ますので、是非本を読みながらゆっくりして行ってください。

家具はその場でお持ち帰り、また配送も承れますのでお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

『SHABBY’S MARKETPLACE』

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2016.12.30

谷川俊太郎と誕生と温もり

谷川俊太郎さんの「生きる」という詩がある。

初めて読んだのは大学を卒業して働き始めたころだったか。ある女性に教えてもらった。

今まで真剣に詩を読んだことのなかった僕はたった一行でこんなにも心を激しく動かし、かつ穏やかにするものなのかと感動した。

以来、その詩が入った詩集を買い求め、本はいつもすぐ手に取れるように本棚に収まっている。

詩はふと思い出した時にさっと読めるのがいい。

谷川さん、「生きる」を一部引用させて頂きます。

 

生きる

生きているということ

いま生きているといこと

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと

~~~

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

 

生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

 

先日、師走に入って寒さが厳しくなり始めた頃、友人夫妻に女の子が生まれた。

毎日が忙しく、生きるのが困難で、世界が混乱しようと、子どもが生まれたという知らせはいつも温かい。

人の体温ほど生の実感に触れるものはなく、それは幸せと結びつくものかも知れない。

誕生した女の子の名前は「ぬくみ」と言うそうだ。

 

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2016.12.16

サローヤンと皆川明と父の背中

先日、NHKのプロフェッショナルという番組(数少ない面白い番組の一つだ)で、デザイナー皆川明の特集をやっていた。

ファッションについて専門的な知識を持たない僕でも彼の存在は知っている。

街中で彼のブランド、ミナ・ペルホネンの鞄を見たり、その生地に身を包んだ女性を見てはっとすることがある。

そのオリジナリティとイマジネーションが通りを明るく彩る。

雑誌をめくると皆川さんに出会うことは多々あるし、何より彼の著作も時折入荷してはすぐに旅立っていく。

番組ではその多くの人を魅了するテキスタイルデザインの探求とブランドが愛される理由を紐解いていく。

生地のデザインから製作まで全てを手がけ、店頭にも立つ姿から浮かび上がるのは「誠実」や「真摯」という言葉だろう。

インタビューを通して彼に深い影響を与えているのは父親だと分かる。はっきり自ら語っている。

戦後ひたむきに真面目に実直に寡黙に働いてきた父の背中。

多くのことはテレビからは分からなかったけれど、その父親と「最近話すようになった」と語り胸がつまり言葉が出なくなるシーンは唐突に映ったかも知れないが

父と息子の関係性をよく表していた。

 

ここに「パパ・ユーア・クレイジー」というウィリアム・サローヤンの名作がある。

作家である父と10歳の息子が二人で暮らす日々を詩的に綴った美しく、深い物語だ。伊丹十三の訳が何とも素晴らしい。

主人公の僕(息子)が日々出会う疑問に父は正面から優しく答えていく。父と息子の会話がこの本の軸になっている。

疑問は身の回りのことから人生について、自分自身について、お金について、仕事について、世界の成り立ちについて、静かな波のようにやってくる。

父は大きな存在となってその疑問に優しく簡潔な言葉で答えていく。

「お前は毎日物語を一つづつ書いているんだよ」という言葉に心あたたまる。

 

世の中には幾つもの父と息子の物語があり、幾つもの父の背中がある。

 

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2016.11.05

ピーマンのついで

先日偶然お店に知人たちが居合わせる時間があった。

あら、あなたも、いたの、来てたの、なんて話している。

ぼくはレジでそんな会話を聞いている。

お店をやっている中でとても好きな時間の一つだ。

Kさんは子育てをしながらアクセサリーを作ったり、映画イベントの企画に絡んだり、良くウチにも出入りしてくれたりしている。

本が好きなのだ。

一通り話し終わったあと、「あ、しまった、私、家の人にピーマン買って来ると言って出てきたんだった」とKさんは言った。

みんなで笑ってしまって、そのままKさんは岸本佐知子さんの本を一冊とバラを一本買って急ぎ足で出て行った。

その日は花を販売している日で買い物ついでに花も買って帰ろうと思ったそうだ。

彼女の中ではピーマンを買うことも、花を買うことも、本を買うことも、読書をすることも、映画を見ることも同じ生活の一部である。

とても気持ちのいい人だ。

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読書することに偉いね、と言われたり、花を飾ることに凄いね、と言われるのはとても窮屈で居心地が悪い。

なぜなら普通のことであって偉くもなんともないから。

ぼくはピーマンは生きていくために必要なものかも知れないが本や花も生きていく上で必要なものだと最近思っている。

「戦争をなくすためにはひとりひとりの生活を美しくしなければいけない」とある作家は言ったそうだ。

そんな高尚なことではないけれど、本や花が生活にないことが今の日本に暗い影を落としているんじゃないかと思う。

偉いね、と言ったり、凄いね、と言ったりするのは自分の心の貧しさを誤魔化してるんじゃないかとさえ思う。

料理をすることも、スポーツをすることも、音楽を聴くことも、洗濯をすることも、デモに行くことも、何もかも凄いね、となり何もかもこの手から離れてしまって何が残るのだろう。

何もかもなくなり、影だけが残り、そんなものは人生とは呼べないし、そんな世界で暮らしたくはない。

 

 

 

2016.10.10

「何にもない」

「こんな何にもないところでよく本屋を始めたね」と言われることがあります。

「でもいい所ですよ。静かで、緑もたくさんあって」

これは本心です。

店の物件は環境で決めました。

比較的静かな住宅街で、緑に囲まれていて、近くには大きな公園がある。

人通りは決して多くはないけれど、路面だし、駅から歩いて10分もかからないし、光もそこそこ入る。

その駅には本屋があり、パン屋があり、スーパーがあり、郵便局があり、電気屋があり、不動産屋があり、塾があり、銀行があり、少しの飲み屋がある。

十分すぎる位です。

この場合の「何にもない」とは何を指すのでしょう。

僕も「でも」と言っている時点でその「何」は何かぼんやりわかっている。

「何かある」場所とはどこか。

もっと大きな駅、駅前、車の行き交う交差点、飲食街、ショッピングモール、オシャレな店の集う街角、、

「何かある」場所とは消費の生まれる場所かも知れません。

でも「消費」は既にねずみに食べられたチーズみたいに食べ散らかされてしまったように見えます。

わざわざそのチーズの中に高いお金を払って入っていく気にはなれませんでした。お金もないし。

重箱の隅をつつくみたいにチーズを探して、見つからなければお金を持っている人たちが新しいチーズを作って、その繰り返しです。

「何にもないところ」から「何か生み出す」方が絶対に面白い。一石で波紋を広げるような孤独な作業ではあるけれど。

「何にもないところ」に人が来るのは楽しい。

でも商売をするならもっと賢く、したたかに、やって行かなければいけないのかも知れない。

ご飯を食べていく、という切実な問題が常に目の前にあるのだから。

そんな声を後ろに流しながらタフに生きていきたい。

「何にもないところ」で本を売ったり買ったりするのは畑を耕すようで大変だけれど楽しいです。