2016.11.05ブログ
先日偶然お店に知人たちが居合わせる時間があった。
あら、あなたも、いたの、来てたの、なんて話している。
ぼくはレジでそんな会話を聞いている。
お店をやっている中でとても好きな時間の一つだ。
Kさんは子育てをしながらアクセサリーを作ったり、映画イベントの企画に絡んだり、良くウチにも出入りしてくれたりしている。
本が好きなのだ。
一通り話し終わったあと、「あ、しまった、私、家の人にピーマン買って来ると言って出てきたんだった」とKさんは言った。
みんなで笑ってしまって、そのままKさんは岸本佐知子さんの本を一冊とバラを一本買って急ぎ足で出て行った。
その日は花を販売している日で買い物ついでに花も買って帰ろうと思ったそうだ。
彼女の中ではピーマンを買うことも、花を買うことも、本を買うことも、読書をすることも、映画を見ることも同じ生活の一部である。
とても気持ちのいい人だ。
読書することに偉いね、と言われたり、花を飾ることに凄いね、と言われるのはとても窮屈で居心地が悪い。
なぜなら普通のことであって偉くもなんともないから。
ぼくはピーマンは生きていくために必要なものかも知れないが本や花も生きていく上で必要なものだと最近思っている。
「戦争をなくすためにはひとりひとりの生活を美しくしなければいけない」とある作家は言ったそうだ。
そんな高尚なことではないけれど、本や花が生活にないことが今の日本に暗い影を落としているんじゃないかと思う。
偉いね、と言ったり、凄いね、と言ったりするのは自分の心の貧しさを誤魔化してるんじゃないかとさえ思う。
料理をすることも、スポーツをすることも、音楽を聴くことも、洗濯をすることも、デモに行くことも、何もかも凄いね、となり何もかもこの手から離れてしまって何が残るのだろう。
何もかもなくなり、影だけが残り、そんなものは人生とは呼べないし、そんな世界で暮らしたくはない。
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