本とわたしを離さないで

2016.10.10ブログ

「何にもない」

「こんな何にもないところでよく本屋を始めたね」と言われることがあります。

「でもいい所ですよ。静かで、緑もたくさんあって」

これは本心です。

店の物件は環境で決めました。

比較的静かな住宅街で、緑に囲まれていて、近くには大きな公園がある。

人通りは決して多くはないけれど、路面だし、駅から歩いて10分もかからないし、光もそこそこ入る。

その駅には本屋があり、パン屋があり、スーパーがあり、郵便局があり、電気屋があり、不動産屋があり、塾があり、銀行があり、少しの飲み屋がある。

十分すぎる位です。

この場合の「何にもない」とは何を指すのでしょう。

僕も「でも」と言っている時点でその「何」は何かぼんやりわかっている。

「何かある」場所とはどこか。

もっと大きな駅、駅前、車の行き交う交差点、飲食街、ショッピングモール、オシャレな店の集う街角、、

「何かある」場所とは消費の生まれる場所かも知れません。

でも「消費」は既にねずみに食べられたチーズみたいに食べ散らかされてしまったように見えます。

わざわざそのチーズの中に高いお金を払って入っていく気にはなれませんでした。お金もないし。

重箱の隅をつつくみたいにチーズを探して、見つからなければお金を持っている人たちが新しいチーズを作って、その繰り返しです。

「何にもないところ」から「何か生み出す」方が絶対に面白い。一石で波紋を広げるような孤独な作業ではあるけれど。

「何にもないところ」に人が来るのは楽しい。

でも商売をするならもっと賢く、したたかに、やって行かなければいけないのかも知れない。

ご飯を食べていく、という切実な問題が常に目の前にあるのだから。

そんな声を後ろに流しながらタフに生きていきたい。

「何にもないところ」で本を売ったり買ったりするのは畑を耕すようで大変だけれど楽しいです。