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2015.03.01ブログ
「本当は奪われているのかもしれない、と僕は思う。」
これはこの本の帯に書かれれている言葉で、著者の松本巌さんが語られているあとがきから抜粋したものです。
あとがきではスマホやカーナビ、ハイブリッドカー、口コミサイトを例にあげ、技術が進み、便利が加速していく中、何かを得たようで本当は奪われているのではないか、という疑問を投げかけています。
僕はこの本を読んだ時、村上龍の「空港にて」という短編集に収められている「カラオケルームにて」という短編を思い出しました。
50を過ぎた男が家のローンを6年残し、会社を辞める。パートで働く妻、就職先の見つからない息子、コミュニケーションの取れない娘、同僚だった友人のトラブル。
知り合ったばかりの二人の若い女性とカラオケに入り、わけのわからない歌を聴きながら、「私はだまされていた」と沈み込む男の姿。何の意味もない人生だったのではないか?確かそんな話でした。
この二つの本では具体的に「何を奪われ」「何に騙されたのか」を書いてはいません。しかし「何か大切なものを失っている感覚」を書いています。
僕も時々、自動的に引き落とされる銀行口座やスマートフォンで下らない情報を見ている時に、お金や時間だけでなく、何か別のものを奪われたような気持ちになることがあります。
そんな時はどうすればよいのか?そんな時はどうしていますか?
季節を感じながら、歩くはやさで、生きていくのがいいのかも知れません。
歩くはやさで
2014.10.15ブログ
リチャード・バックは飛行機が本当に好きだった。飛行機を見ると頬ずりしてしまうほどだった。退屈な東京でのプロモーションから名古屋の小牧飛行場へ立ち寄ったとき、リチャード・バックは狂喜した。それは感動的な光景だったとあとがきに村上龍は書いている。十数年ぶりに肉親に会ったかのように振る舞っていたと。
僕にとっての飛行機は何だろう。20代のころはそれが見つからなかった。ああ、ダメだ、何て寂くて情けない人生なんだ、と思った。
作中で救世主であるドンが叫ぶ。「イリュージョンだ、この世の全てはイリュージョンだ、何から何まで光と影が組織されて、像を結んでいるだけなんだ、わかるかい?」 これはもちろんこの世の全ては幻だ、まやかしだ、壊してしまえ、と叫んでいるのはなくて(10代の僕が読んだらそう取ったと思う)、何も怖がることはないんだ、好きなことをしていいんだよ、と言っている。自由を謳い、好きなように振る舞うとどこからかこの小説のように反発してくる人々が現れる。この小説の舞台である1977年のアメリカでも。現代では人々と違うものの見方をすると袋叩きだ。
リチャード・バックも言っているように好きなことを見つけること、追求することは大変だと言っている。ドアを叩き続けるしか無いと言っている。発表から40年近くたった今もその言葉は生きている。ドアを叩き続ける、というのはフィジカルな行為で、自由や理想を空想することや、ネットで呟くことではない。行動し、飛行機に乗り、飛行機に触れなければ分からない。
どんな小さなことでも好きなことを追求している人は幸せだ。そんな人がたくさんいればが幸せな社会だ。周りの雑音なんて聞こえない、聞く暇もない、聞こえてこない。
好きなことだけをして生きてやる、この本を読むたびにそう思って、すぐに本を閉じる。そして少しの勇気を貰って、混沌とした世界のドアを叩いていく。
2012.11.05ブログ
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An generic cialis!小説を読むことの面白さを知ったのは何の本だったかと考えていたらこの本に行き着いた。
初めて読んだのは高1か高2だったと思う。
中学の終わり頃からだんだん読書が好きになっていった。最初は母親の影響で「三銃士」とか「ロビンソン・クルーソー」とか「ジュラシック・パーク」とか「フォレスト・ガンプ」なんかを読んでいたと思う。家にあったものを適当に読んでいた。
高校は全く面白くなくて授業中は小説か漫画ばかり読んでいた。当然の成り行きと言うべきか、村上春樹に出会い、村上龍に出会う。辻仁成なんかも良く読んでいた。「ノルウェイの森」は大好きな小説だったし、今では村上春樹は僕にとっても特別な作家だけれど、本当の意味で小説の面白さ、読書の喜びを教えてくれたのは村上龍だったと思う。「コインロッカーベイビーズ」「海の向こうで戦争が始まる」「ポップアートのある部屋」「トパーズ」「村上龍料理小説集」etc
その中でも「限りなく透明に近いブルー」がたまらなく好きだった。
破滅的な登場人物たち、過激な性描写、ドラッグ、ドアーズにストーンズ、ストーリーよりもその詩的イメージに僕は魅了された。村上龍はいつも怒りながら優しい文章を書いている。その文体は多くの人が認めるように天才的と言っていい。「現存する作家の中では、文章に関しては最大の天才と言えるでしょう」と高橋源一郎はある著作の中で言っている。僕もそう思う。きっと凄いスピードで文章を書くんだろうなと思う。
それはさておき、毎晩適当にページを開いて読んでは眠る日々があった。20代になってからもあった。いつも主人公がリリーに話しかける様子を見ていた。それはいつも限りなくイノセントなイメージを僕に与えてくれた。自伝的小説とは言え、著者があとがきで女の子に手紙を書いているのも何故かセンチメンタリズムを軽く通り越しているようでかっこよかった。
そんなわけで今でも膨大な量の書籍を出し続けているけれど、新作の小説が出るとわくわくする。
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