2015.03.01ブログ
「本当は奪われているのかもしれない、と僕は思う。」
これはこの本の帯に書かれれている言葉で、著者の松本巌さんが語られているあとがきから抜粋したものです。
あとがきではスマホやカーナビ、ハイブリッドカー、口コミサイトを例にあげ、技術が進み、便利が加速していく中、何かを得たようで本当は奪われているのではないか、という疑問を投げかけています。
僕はこの本を読んだ時、村上龍の「空港にて」という短編集に収められている「カラオケルームにて」という短編を思い出しました。
50を過ぎた男が家のローンを6年残し、会社を辞める。パートで働く妻、就職先の見つからない息子、コミュニケーションの取れない娘、同僚だった友人のトラブル。
知り合ったばかりの二人の若い女性とカラオケに入り、わけのわからない歌を聴きながら、「私はだまされていた」と沈み込む男の姿。何の意味もない人生だったのではないか?確かそんな話でした。
この二つの本では具体的に「何を奪われ」「何に騙されたのか」を書いてはいません。しかし「何か大切なものを失っている感覚」を書いています。
僕も時々、自動的に引き落とされる銀行口座やスマートフォンで下らない情報を見ている時に、お金や時間だけでなく、何か別のものを奪われたような気持ちになることがあります。
そんな時はどうすればよいのか?そんな時はどうしていますか?
季節を感じながら、歩くはやさで、生きていくのがいいのかも知れません。
歩くはやさで
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