2017.02.08ブログ
荻原魚雷さんの「古本暮らし」という本(晶文社)を読んでいたら「煙草のない生活なんて」というエッセイに出会った。
荻原さんは一日にキャスターを一箱吸う。ある作家が一日に十箱吸うと聞いて驚いている。
著者は幾らなんでも吸い過ぎだと思うけれど、こう言う。
「煙草の有害性については、もう耳にタコが出来るくらい聞かされている。それなのに、やめられない」
喫煙マナーが下がっていることや飲み屋で吸い方がなっていないと怒られたりしたエピソードを交えながら、こう語る。
「今は煙草を吸うこと自体が悪癖とされているので、ドラマの登場人物もあまり吸わない。漫画やドラマの中で登場人物が煙草を吸うシーンがあると、必ずクレームがつく」
「一体、煙草もおちおち吸えなくなって、それがよい世の中といえるだろうか」
「まあ愛煙家の自己弁護は、たいていは屁理屈である。しかしさらに屁理屈をいわせてもらえば、屁理屈をいっさい許容しない世の中はつらいなあとおもう」
結局、仕事がいちばんからだにわるいんじゃないか、とオチがつく。
僕は煙草を吸わない。それでも喫煙所を探し回って、せせこましく吸っている人たちを見ていると気の毒だなと思うことがある。
喫煙者を必要以上に追い込む風潮には僕も反対だ。
僕は煙草を吸わないけれど、吸っている友人は多い。
中学からまわりは吸っていたし、学生の頃は一人暮らしをしていて、麻雀仲間が煙草を吸っていたから部屋中モクモクになっていた。(徹夜明けその部屋で眠るのがつらかった。今度会ったら怒ろう)
ある友人は「こんな身体に悪いモン、何で吸ってええんやろな」と言いながらバカバカ吸っていた。
仕事先では先輩たちと飲むことが多かったけれど吸っていない人の方が少なかった。(輪になって一服しながら仕事の相談などをしていて、その輪に入れないことが歯痒かった)
そして、母親が吸っていた。父親に隠れて。
子どもの頃、学校から帰ったときの夕方や三人(僕と妹と母)で食事を終えたあとの父が帰るまでの間に台所の換気扇の下に立ち、片手を腰にあて、とても美味しそうに吸っていたのを覚えている。
父は煙草が嫌いだったので(祖父がヘビースモーカーだった影響らしい)、時々母の煙草を見つけては喧嘩になって、それはたまらなく嫌だった。
今も吸っているかは知らない。でも、あの時の姿勢のままに美味しそうに吸っていたら身体に悪いからやめろ、とはとても言えないと思う。
小学生の時に一度隠れて母の煙草を吸ったことがある。マイルドセブンだった。
何故か僕はそのことをわざわざ母に報告した。
「ごめん、隠れて吸っちゃった。でもあんまり美味しくないね」とか何とか。
その時の母のバツの悪そうな顔を覚えている。
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