
2026.01.10ブログ
正月。
少し遅れて実家のテーブルに着きお屠蘇を飲み干した私に、隣に座った母が待ってましたとばかりに言う。
「お父さん、ドラゴンボール知らんねんて」
びっくりするやろ、という笑みを浮かべている。
一月一日から何の話なのか。どこでドラゴンボールの話になったのか。恐らく昨夜の紅白に野沢雅子が出ていたからだろう。
それは聞かずに
「ほんまに俺のこと何も見てへんかってんな」と私はテーブルに並んだお節を見渡しながら呟く。
父は母の横で既に顔を赤くしている。
ドラゴンボールのアニメは私が小一の時に始まった。1986年だ。まだリモコンのないテレビだった。
それから小学校高学年頃まで母と妹とずっと見ていた。
小三か小四のころにジャンプを毎週買い始めた。悟空は既にヤジロベーと出会っていた。
アニメとは違った漫画の迫力に取り憑かれ、やがてコミックを買い求めた。一気に何巻も買えないので、同じ巻ばかりを何度も読んだ。
父とは小学校を卒業する時期から口論が増え、中高とまともに会話を出来なかった。
私が何に興味があり、何を見て、何を感じていたのか、何も知らなかったと思う。
そのことについて今となっては特に感じるものはないのだが、父は酒を飲むと「あの頃はすまんかったなあ」としつこく私に絡んでくる。
しかしドラゴンボールの存在そのものを知らないとは、、確かにびっくりする。
けれど、父は忙しかったのだ。
80年代から90年代、朝から晩まで働き、土曜も働き、日曜は付き合いか何かでゴルフやら何やらに出掛けていた。
ビタミン剤を毎日飲み、満員電車に揺られていたのだろう。
そのお陰で私だって大学にまで行けたのだ。
父にもう少し余裕があれば、父と私の関係ももっと違っていたものになっていただろう。
そして1995年か、2001年か、世界は加速度的に忙しくなり、余裕を失った。文字通り、忙殺されている。
父にもう少し余裕があれば、社会にもう少し余裕があれば、世界にもう少し余裕があれば、
人にもう少し余裕があれば、他者や他国を想う気持ちも目に見えるように現れるのだろうか。
なぜ世界は今もこんなにも暴力に溢れているのか。
願いが一つだけ叶うとするのなら、分け隔てなく人を思いやる気持ちが世界中に溢れて欲しい。
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