2015.09.20ブログ
先日、3歳の娘が妻とその父母と4人で奈良の生駒へ出掛けた。
展望台の高台にある階段へ登る際に祖父が孫の手を引いた。
孫は祖父に「おじいちゃん(実際は呼び名で)、優しいね」と言ったそうだ。
夕食の際に私は妻からその話を聞いて驚き、喜んだ。
私と妻が驚いたのは、「おじいちゃん、優しいね」と3歳の娘が文脈のある言葉を発したことよりも、その行為が純粋な優しさであることを理解していることだった。
喜怒哀楽といった感情は生まれつき備わっているようだが、「優しさ」という行為は人のなりふりや、社会を観察し、学んでいく。
「これが優しさですよ、」と一つ一つ教えて行くわけではない。
3歳の娘の世界でいつの間に学んでいくのか、保育所か、家庭か、買い物か、散歩か、絵本か、その全てか。
小さな子どもの成長に喜ぶ親ばかな私だけれど、優しさは足りているか、子どもに胸を張れる行いをしているのか、日々問いかけなくてはならない。
この不安定な社会では時間はあまりにも早く過ぎていく。
「優しさ」にはその時間を止め、記憶するような力があるように思う。
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