2013.02.01ブログ
レイモンド・カーヴァーの「象」は「ささやかだけれど、役に立つこと」や「大聖堂」と並んでカーヴァーの中でも最も好きな作品。何というか、小説っていいなと思わせてくれる小説。日本で言うとやはり志賀直哉の短編を思わせるのかも知れない。
この「象」という短編に所謂動物の「象」は出てこない。借金まみれの家族と老後の母親を助けるために朝から夜まで働き続けているある孤独な男の物語だ。社会の片隅で孤独や哀しみと向かい合い暮らす人々を描いてきたカーヴァーの代表作と言えるだろう。破産してしまった弟、大学で遊び呆ける息子、どうしようもない男とくっついてしまった娘、養育費を送金している別れた女房、毎月の仕送りなしでは暮らしていけない遠く離れた母親、身を粉にして働き続ける主人公の僕。救いのない、終着点の見えない、物語。
だが、「僕」はある晩夢を見る。僕は五歳か六歳でまだ生きていた父親に肩車をしてもらっている。簡潔に引用する。
「さあ、ここに乗れよ、と父さんが言った。そして僕の両手をつかんでひょいと肩にかつぎあげた。僕は地上高く上げられたが、怖くはなかった。父さんは僕をしっかりとつかまえていた。~僕は両手を放し、横に広げた。そしてバランスを取るためにずっとそのままの格好でいた。父さんは僕を肩車したまま歩き続けた。僕は象に乗っているつもりだった」
夢はこの後覚める。次の日は夏のとても気持ちの良い日で、「僕」は通勤途中にふと立ち止まって両手を広げる。
救いようのない物語だが、何か心にずっしりと残るものがある。余韻ではない。記憶を突き動かす「何か」。
いつか僕もこういう夢を見るのだろうか。肩車をしてもらった記憶はあるけれど、いつか全く思い出せない。風景も背景も思い出せない。
何が言いたいかと言うと、、、、、小説っていいですよね。
「象」は中央公論新社から出ている全集をはじめ、村上春樹訳の幾つかの作品に掲載されいます。
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