本とわたしを離さないで

2021.08.27ブログ

トンネルの光

夏や正月に和歌山県の白浜へ通うようになって10年以上経つ。

家族の家がある。

近畿道、あるいは阪神高速から阪和道へ入る道が好きで、運転が楽しい。

都市を抜けて眼前に緑が広がり、やがて山が迫ってくる。阪和道はその森の中へ入っていく心地がして気持ちがいい。

僕は神戸出身で海と山に囲まれた街は見慣れていたけれど、和歌山は神戸の比ではなく山を降りるともう足元に海がある。

街は海辺と山中に点在している。街から見る自然は大阪や神戸のそれとは違って果てがないように見えて吸い込まれそうになる。その畏れが何故か癖になる。

白浜へたどり着くためには山を越えるので幾つものトンネルを潜る。短いトンネルや長いトンネル色々あるけれど、通る度に人間の生み出した技術に驚かされる。

山を掘って、光を通し、道を作る。良くは知らないがこんなにトンネルのある国が他にあるのだろうか。

トンネルは出口があると分かっているから入ることが出来る。

点のような光が見えてきて、出口を抜けたとき、いちいち口に出すことはないが心のどこかが安堵する。

 

今、感染症の出口が見えない。光が見えない。安心して生活することが出来ない。

子どもたちに感染が広がって不安は砂のように降り積もるばかりだ。

たくさんの人が培ってきた知識や技術を使って、国が公共事業でトンネルに光を通したように、コロナの出口への道筋を付けるのも国の仕事だろうと僕は考える。

科学者が培ってきた知識を蔑ろにしてはいけないし、耳にタコかも知れないが国民の声に耳を傾けるのが政治の仕事だろう。

今は入口から全てが間違っているように思える。きっと僕らは任せる人を間違えてしまったのだろう。

運転を代わってもらわなければ僕らはこのままずっと出口の見えないトンネルに閉じ込められたままだ。

僕は次の総選挙は必ず這ってでも投票する。