2018.07.12ブログ
創刊から間もなく一ヶ月経つがこの本を一言で紹介するのは難しい。
けれど、この本を読むべき人がどこかにいる様に感じ(もちろんそれは一人ではない)、この本自身もその人の元に収まりたい、と訴えているような不思議な力をこの本は放っている。
どのような本か、と問われればやはり次の文を引用したい。
『二〇一七年、わたしは米、大豆、鶏卵を自給した。
このことで、わたしの中に何かが決定的に生じた。いわばこれはある種の自信である。社会的な、ではなく生物的な自信が。一生物としての充足感といいかえてもいい。わたしははじめて人間になれた気がした。何者かではなく、ひとかどのホモ・サピエンスに。』
著者の東さんは1991年生まれの大阪出身で、2015年に奈良県宇陀市に移住し、上記のように稲作や養鶏をして暮らしている。
東さんは高校を中退し、その後の留学も途中で帰国し、大学も卒業を迎える前に辞めている。
大学を辞める頃には田んぼや畑をやることをぼんやり考えていて、奈良の田舎に行っては移住先を探していた。
そして宇陀市のある土地とある翁に出会い、野良仕事の手ほどきを受け、自給を始めるに至る。
本書では稲作、養鶏、生物との交わり、その一年間の出来事が日記のように記されている。
学校がつまらない人は田んぼをやろう、田舎で暮らそう、自然最高、やりがいを探そう、なんてことは微塵も書かれていない。
淡々と自然や生物(マムシや土竜、田んぼの昆虫、そして鶏)との関わりを綴っている。(その関わりを読むだけでも十分に面白い。)
ただ一つ、上記に垣間見れるように、「俺は今生きている、ここで生きていく」という「宣言」を静かに叩きつけている。
その宣言はこの小さな本の読者の心を掴むには恐らく十分すぎるほど力強いものだ。
「自分で稲や鶏を育て食べることはやりがい、生きがいがあります。僕にとって他の何よりも自給することにそれを感じます。自身の生存に関わることなので、いわゆる仕事をして感じるやりがい、生きがいとは異なる気もしますが。」
僕のやりがいを感じるか、という簡潔な質問に東さんはこう答えてくれた。
そしてもう一つ、僕は、彼は彼の「役割」を全うしているように感じられた。
彼は自分の役割を見つけ、そこに未だかつてない喜びを感じている。
翁の仕事を引き継いだ役割、米や鶏や野菜、この土地自体に対して自分の仕事をする役割がある、と仰った。
自分のやるべきことを喜びを持って向き合っている人を僕は尊敬する。
そういう人が書いた本だから、出来るだけ近くにも遠くにも届けたい。
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